紅葉鮮やかな山形市を訪ねて (日本・山形)

視察日:2000年11月5日

 紅葉鮮やかな季節に山形県山形市(人口:約25万人)を訪ねて参りました。11月の初め頃に訪ねましたが、紅葉はいつもの年文翔館に比べ2週間ほど遅いとのことでした。山々の紅葉の見頃は終わりに近づいていましたが、山形市内は、まだまだ見事な紅葉が見られました。紅葉の鮮やかさは、まぶしいばかりで街をより美しく見せていました。上から2番目の画像は、山形城跡を整備した霞城(かじょう)公園内の鮮やかな木々を写したものです。5年ほど前にアメリカのアスペンに今回同様、紅葉鮮やかな季節に行ったことがありますが、その時のことがふと思い出されました。アスペンは、リゾートタウンであり、アメリカでも有数の絵になる美しい所のひとつに数えらています。アスペンは、海外編の視察レポート上で紹介しておりますので、よろしければ併せてご覧下さいませ。

 一番上の画像は、中心市街地の北側に位置する文翔館(ぶんしょうかん)を写したものです。大正5年に建てられた文翔館は、かつて県庁と議事堂として使用されており、昭和59年に国の重要文化財に指定されています。画像からもわかりますが、イギリス・ルネサンス様式を基調としたレンガ造りの建物で、なかなか趣きがあります。重要文化財に指定された後、昭和61年から修理工事が行われ、10年の歳月をかけて平成7年9月に完成しています。当時の工法を基に忠実に復元された建物は、大正の古き良き時代の薫りを今に伝えています。
 文翔館は、家具、壁紙、絨毯にいたるまで内部も見事に復原(文翔館のパンフレットでは、復元ではなく、より忠実に再現したこともあり復原という漢字がつかわれています)されており、無料で一般公開されています。開館霞城公園後5年立ちますが、これまでに80万人を越える方々が訪れており、ガイド・ボランティアの活躍もあり、保存公開を賞賛する声が多く寄せられているということです。今回、実際にガイド・ボランティアの方に文翔館の館内を案内していただきましたが、非常に丁寧でわかりやすいとともに、山形の文化財を愛する思い入れが伝わって参りました。

 さらに時代を関ヶ原の合戦の頃の1600年代に目を向けますと、この地は、最上義光(もがみよしあき)が領地を掌握していました。上から3番目の画像は、霞城公園内にある馬上の最上義光像を写したものです。霞城公園は、さきほど山形城跡を整備したものと述べましたが、現在、二の丸東大手門が復元されており、本丸部分への復元工事も進められています。また、霞城公園の近くにある最上義光歴史館も訪ねて参りました。戦国乱世を生きた出羽の虎将(こしょう:幕末の儒学者塩谷宕陰が「山形従役詩」で義光を虎将と讃えている)の生涯が展示され描かれています。
 少し紐解きますと、最上家の始まりは、この地に初代斯波兼頼(しばかねより)が1356年ぶ居城を構え、出羽国最上郡山形郷という地名から最上氏と称するようになったと言われています。兼頼から数えて11代目が最上義光となります。最上義光は、関ヶ原の功績により57万石(実高100万石)を掌握し、現在の山形県の置賜地方(米沢など)を除く全域と秋田県の由利郡にまで及んでいました。しかし、その後、最上家の家督相続における内紛など諸処の事情があり、仙台(伊達家)藩(61万石)に匹敵するほどあった藩が、細かく分割されていきました。この細かく分割されていったことが、現在のそれぞれの個性ある地域性につながっていった馬上の最上義光像とも言えます。ちなみに、最上義光の実の妹のお東の方(義姫)は、伊達家17代目の伊達政宗の実母(伊達輝宗の正室)です。

 時代を現代に戻しまして、山形市内の中心市街地の商業動向に目を向けますと、なかなか厳しいものがあります。上から4番目の画像が、中心市街地の七日町の通りを写したものです。今年(2000年)1月にJR山形駅東口にあった専門店ビルの山形ビブレ(跡地に現在ホテルの進出が決まっている)が閉店し、8月には、七日町にある山形松坂屋が44年にわたった歴史に幕を閉じています。山形松坂屋に関しては、まだその後の利用・再開発が明らかになってなく、まずは建物解体の方向で進んでいるようです。
 暗い話題ばかり何ですので、明るい話題としては、今全国各地で取り組みが見られる「中心街100円バス」が人気のようです。車体の上下半分ずつを赤色と緑色に塗られたバスが街を駆け巡っています。これは、山形商工会議所が県や国の助成金をもらって運営を始めたもので、平日で1,100人、土・日曜で一日1,500人の利用にのぼっています。助成金があるだけに、採算ラインは600人ということですから、上々と言えます。

 その他、流通業の動きとしては、2000年11月22日にジャスコが、欧米型の大きな売り場を持つ新型店舗の出店の1号店としてジャスコ山形南店をオープンしました。新型店舗の特徴は、売り場面積をジャスコの標準的な総合スーパー(GMS)の約1.5倍の約1万5千平方メートルに広げ、各階の天井高も従来の約1.5倍の5メートルとしている点です。メーカーとの直接取引による単品大量仕入れを想定した中心市街地物流体制と連動する高回転・大量販売型の店舗となっています。この新型店舗は、山形南店に続き、ジャスコ発祥の地の三重県四日市でも来年(2001年)1月に開業する予定となっています。
 新型店舗は、通路幅を最大6メートル確保するとともに、広くなった壁面を在庫スペースとして活用することで、商品をトラックからそのまま売り場に運びこめるようにしています。このように在庫商品を売り場に並べることで、在庫回転率を高めるとともに、バックヤードでの保管や搬入など後方作業のコスト削減につなげています。天井を高くすることにより、建築コストは通常より15〜20%程度高まるとみられていますが、バックヤードを減らせるため、各階の床面積に占める売り場の割合を従来の7割から8割近くまで増やせるメリットもあるようです。また、同社は、メーカーから運び込まれた大量の商品を、ほぼ同時に各店舗向けの輸送車に受け渡す「クロスドッキング」機能をもつ物流センターを2001年6月の東北地区を皮切りに順次稼動させていく計画です。総合スーパー(GMS)もかつての勢いを失っているなか、どうお客さんが反応し、GMS復権の試金石となっていくか見物といったところです。

 再び、山形市内に目を向けますと、現在ジャスコは、今回新型店舗として、市中心部から南へ車で10〜15分ほど走ったところにオープンした山形南店とちょうど3年前に同じように方向は反対ですが、市中心部から北へ車で10〜15分ほど走ったところにある山形北店の2店体制となっています。まさに、市内の中心市街地をはさんだサンドイッチ状態となっています。そういう観点からも、さきほどの松坂屋跡地の再開発が待ち望まれているところです。日曜日に中心市街地を歩きましたが、なかなか人出も多く活気が感じられただけに、まだまだ余力のある今こそ、早急に中心市街地の活性化の起爆剤となるようなものを打ち出していって欲しいものです。

 最後に、旬な話題で締めくくりたいと思います。JR山形駅を降り立つと西口に大きなビルがそびえ建つ「霞城セントラル」(地上24階、高さ115メートル)が目に飛び込んできます。今回、山形新幹線で山形に乗り込んでこともあり、かなり目立ちました。グランドオープンは、21世紀の幕開けでもある2001年1月1日の午前零時です。テナントとして、観光センター、県立高校、ホテルなど県や市の出先機関、公共施設が中心に入ることになっています。先程述べましたが、駅前東口の山形ビブレ跡地には、ホテルの進出も決まっており、駅周辺の賑わいは勢いづいていきそうな気配です。

追記(2001.3.4)「雪景色の山形市界隈を訪ねて」の視察レポートも併せてご覧下さればと思います。
追記(2001.8.7)春の山形夏の山形も併せてご覧下さればと思います。

By Nagura

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