渥美半島の玄関口“田原町”を訪ねて (日本・愛知)

視察日:2002年7月13日

追記(2006.4.17):2003年8月20日に旧田原町と旧赤羽根町が合併して「田原市」が発足、その後、2005年10月1日に渥美町と合併して、新「田原市」となっています。紆余曲折ありましたが、最終的に旧田原町、旧赤羽根町、旧渥美町が合併する形で、田原市(人口66,354人、20,115世帯、面積188.58平方キロメートル:平成18年3月1日現在)となっています。

 三河湾と太平洋に面した愛知県・渥美半島の玄関口にあたる田原町(人口:約36,800人)を訪ねて参りました。渥美半島は、全国有数のマスクメ汐川干潟ロンの産地として知られています。ちょうど行った時は、収穫時期(7月〜8月が収穫期)であり国道沿いには、メロン直売のノボリがはためいていました。

 渥美半島では、昭和初期にマスクメロンの栽培が始まり、豊川用水の通水を機に耕地面積の少ない地元の高収入作物として広まっていきました。現在では、渥美半島の渥美町、赤羽根町、田原町の3町で約260戸が生産を手がけ、約23万箱(1箱約7キロ)を名古屋、大阪、東京方面に出荷しています。この視察レポートを読まれる頃はマスクメロンのシーズンが過ぎているかも知れませんが、伊良湖ガーデンホテルでは、10月15日までメロンフェアが開催されています。

 今回の視察レポートでは、渥美半島の田原町にスポットをあてて紹介していきます。田原町は、渥美郡唯一の城下町であり、さらに学者として画家としてまた政治家として活躍した渡辺華山の生誕の地として知られており、渥美半島の経済、文化の中心地として栄えてきました。古くから農業を中心に栄えてきていますが、昭和40年代から三河港の東三河臨海工業地帯の造成が始まり、現在では、トヨタ自動車はじめ多くの企業が操業しており、農業のみならず、工業も盛んなバランスのとれた都市となっています。

 一番上の画像は、ちょうどトヨタ自動車の田原工場の近くにある緑が浜公園から汐川(しおがわ)干潟(豊橋市と田原町の境に広がる)を写したものです。ここ汐川干潟(汐川河口から三河湾大橋までの約280ヘクタール)は、野鳥の飛来地として全国はなとき通り的に有名であり、バードウォッチングなどいろいろな活動が行われています。干潟(ひがた)とは、潮が引いたときに現れる海岸の浅瀬のことで、近年、稀少な貝類をはじめとする様々な底生生物にとっても、かけがえのない場所であることもわかってきています。

 田原町は、三河湾と太平洋の海に面していますが、海だけでなく山もあります。その山の一つの蔵王山にも行ってきました。車で山頂まで登れます。標高250メートルの山頂からは、行った日は霧がすごくて見えませんでしたが、波静かな三河湾、雄大な太平洋が展望できるようです。また、澄みきった日には、はるか日本アルプスの山々や富士山も望めるようです。ここの魅力は、360度の大パノラマが満喫できる点です。

 もう一つ蔵王山の目玉が、一際目立つ風力発電の大きな風車(直径29メートルのブレード(羽)、高さ44.5メートル、発電量300キロワット)です。ここ蔵王山には、年平均秒速6メートル以上の強い風が吹くのを利用して、蔵王山の展望台の冷暖房や照明などの機器の電気を風力発電でまかなっています。また、余った電気は、電力会社に売って一般家庭などで使われます。

 上から2番目の画像は、田原町の中心市街地にある「はなとき通り」を写したものです。1995年12月にオープンした通りで“緑と光と風”を基本コンセプトとしています。はなとき通りは、長さ110メートルほどの小道の駅・情報コーナーさな商店街ですが、都市計画道路の拡幅にともなって整備されました。開発当初は、原則として今住んでいる人が全員住み続けられるようにと共同建替の方向で検討が進められたそうです。しかし、土地の共同所有、建物の区分所有という所有形態やまわりが田んぼや戸建てばかりという中での共同住宅居住といったことが地域になじまないということから、建物は協調建替、そして商店経営を行わない方については区域外への移転、それに伴い土地の権利変換も行うなど、区画整理に近い土地分合と建替になったそうです。

 はなとき通りを実際に歩いてきましたが、たいへんゆとりのある空間が広がっています。上から2番目の画像で、わかりにくいですが、広い歩道に露店(夜店)が出ているのがご覧いただけると思います。建物は、それぞれ個性的なデザインとなっており、道路から8.2メートルセットバックしてスペースを確保した歩道は、カラー舗装を施した多目的広場が整備されています。

 上から3番目の画像は、田原町を貫いている国道259号線バイパス沿いにある「道の駅・めっくんはうす」の店内の情報コーナー・観光情報案内システム「渥美半島クイックナビシステム」を操作している方や地図を見ている方々を写したものです。画像上から渥美半島の地図も見られることと思います。すぐ横には、田原町の観光・文化が大型マルチスクリーンで紹介しているコーナーもあります。

 道の駅・めっくんはうすは、観光やドライブのための情報コーナー道の駅・ふれあいマーケットの他に、お土産コーナー、レストラン・喫茶、メロンショップ、渡辺華山や地元の凧のコーナー、地元野菜の産直コーナーなど盛りだくさんです。上から4番目の画像は、産直コーナー“ふれあいマーケット”で買い物されている方々を写したものです。

 最後に、田原町を取り巻く話題、田原町における最近の話題で締めくくりたいと思います。6月(2002年)のコラムで市町村合併について考察しましたが、ここ渥美半島でも、田原町、赤羽根町、渥美町の渥美郡3町が合併に向け、合併協議会を立ち上げ進めています。しかし、合併協議会は、目標としてきた来年(2003年)1月の合併を2002年7月25日に正式に断念しており、合併協議会は解散せず当面「休止」という状態になっています。

 合併協議会の委員からは“新市名をめぐる混乱に、合併に対する3町間の思惑の違いが象徴的に表れた”などの声が上がっています。その他、昨年(2001年)10月の合併協議会以来、1年足らずで合併をまとめようとした無理を指摘する声も上がっています。市町村合併については、当方の考え方含めコラム「各地で協議が活発になっている市町村合併について考察する」で載せてありますので併せてご覧いただけましたらと思います。現在は休止中ですが、田原町、赤羽根町、渥美町の渥美郡3町の合併に向けての協議会の動きは、今後も見守っていきたいと思っております。一度「休止」した合併の論争を再度立ち上げる(モチベーションを高める)には、かなりの労力が必要となると思いますが、新たな合併へのより良い形が生まれてくる可能性も秘めています。

 最後に2002年8月2日にオープンしたばかりの田原町の新しい図書館を紹介します。皆さんは、地元の図書館を活用されていらっしゃいますでしょうか。図書館は、住民が必要な情報を入手でき、学び、楽しみ、交流する場です。少しデータを紹介します。「日本の図書館2001(日本図書館協会)」調べによると、1971年には全国の公共図書館は885館で、年間貸し出し総数2,419万点だったのが、30年後の2001年には、2,681館、年間5億3,270万点を数え、図書館数で約3倍、貸し出し点数で約22倍になっています。

 田原町には、これまで1983年に開設された蔵書3万冊の図書館(160平方メートル)しかありませんでした。本格的な図書館は、1986年の町総合計画以来16年にも及ぶ念願で、1996年の図書館建設構想委員会の答申により具体化して、2002年8月2日のオープンとなっています。新しい図書館は、延べ床面積3,972平方メートルで35万冊所蔵可能な図書館となっています。

 田原町の新しい図書館建設に向けて特徴的な点は、住民と対話を重ねて行ってきた点です。図書館のプラン作成から工事経過まで一般公開を続けてきました。1999年末に基本設計がまとまり、翌年2月に「情報広場」と名付けた説明会を開き、図書館の図面と模型を初めて公開しました。情報広場は、住民が会の進行を担当するなど、住民と行政の二人三脚で2000年〜2001年にかけて9回開かれました。ボランティアやコミュニティー活動の拠点となるフリースペースの役割や運営に関し講演会を開いたり、他県の図書館の見学もしました。その他、人材という視点では、全国の公共図書館職員のうち司書は半数に過ぎない状況のなか、嘱託8名を含めた図書館員15名全員が司書資格も持っているなど、ソフト面におけるきめ細かい専門職員による対応もなされています。これからのまちづくりは、“知(知識・知恵)”という面で文化的な要素がますます重要になってくることを考えますと田原町の取り組みは、まさに先見の明と言えます。

 今回の視察レポートでは、自然豊かで気候が温暖な田原町を紹介しましたが、ドライブコースに最適で、観光など見どころたくさんですので、皆さんも一度行かれてみてはいかがでしょうか。

追記(2002.9.23)田原、赤羽根、渥美の渥美郡3町は2002年9月20日、各町議会に3町合併協議会の廃止案を提出し、いずれも可決しました。愛知県内の自治体合併のモデルケースになると見られていた合併構想は、完全に白紙状態に戻りました。

By Nagura

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