“みちのく”の玄関口・白河市を訪ねて (日本・福島)

2005年10月24日、11月21日

 福島県白河市(人口66,334人、23,056世帯:平成17年12月1日現在)を訪ねて参りました。白河市は、平成17年11小峰城月に、近隣の表郷村、大信村、東村と合併して新「白河市」になりました。白河市には、白河市におけるコミュニティビジネスというタイトルで講演依頼を受け、2回にわたって、講演とワークショップを行ってきて、その際にまちを巡ってきました。

 白河市は福島県の南部に位置し、奥羽三関のひとつ白河の関と寛政の改革を指揮した松平定信の居城・小峰城で有名です。白河市は、今回のタイトルにもしましたが、古来より“みちのく”の玄関口として、歴史的・地理的な重要な位置を占めてきました。まちを歩いていますと、神社仏閣が多く、古い蔵なども点在しており、城下町ならではの風情が色濃く残っています。

 “みちのく”と聞きますと、かなり古いですが、昭和55年に100万枚の大ヒットを飛ばした山本譲二の「みちのく一人旅」を思い出しますが、ふと、“みちのく”とはなん何だろうと思いましたので少し紐解いていきます。“みちのく”とは、東北地方のことを言っているのだろうということは、漠然とわかりますが、漢字で書くと“みちのく”は“陸奥(みちのく)”となります。

 “みちのく”を調べてみますと、いろいろな解釈が出てきますが、ざっと挙げますと、「白河の関以北を古代から陸奥国(むつのくに)といい、東山道のさらに奥の意味で「道の奥」と雅称(風雅な名称の意味)されてきた」「陸奥国(青森白河マイタウン県、岩手県、宮城県、福島県)と出羽国(秋田県、山形県)があり、陸奥国は、たいへん面積が広かったため、しばしば東北全体のような総称のような言い方がされてきた。この陸奥国は、その昔は“みちのく”と言われてました。“みちのく”とは、政治の外、支配の外という意味で、大和朝廷の支配が及ばず、政治が行われず未開、野蛮の地という意味合いで、その後、政治が行われ文化が開かれても当時の言葉の使われ方が今日までなされきた」などと書かれています。何か、“みちのく”という言葉一つとっても、歴史を紐解いていきますと、ロマンが感じられます。

 一番上の画像は、小峰(こみね)城を写したものです。白河城とも呼ばれています。奥州関門の名城とうたわれた小峰城は、結城親朝(ゆうきちかとも)が1340年に小峰ケ岡に城を構えたのが始まりで、江戸時代の初代藩主・丹羽長重公が4年の歳月を費やして完成(1632年)させた梯郭式の平山城です。以後、松平定信公をはじめ、7家21代の大名が居城しましたが、1868年の戊辰の役で焼失しました。平成3年に三重櫓、平成6年に前御門が史実に基づき忠実に復元されました。復元に使用された杉材は戊辰の役の激戦地・稲荷山のもので、床板や柱には当時の弾痕がそのまま残っています。

 小峰城は、四季風月が感じられる城です。万朶(ばんだ:多くの枝の意味)の桜で華やぐ春、青空に薔薇が映える夏、落ち葉を白河市商店街踏んで小径をゆく秋、石垣が雪をまとう静寂の冬など、それぞれに違った表情を見せてくれます。小峰城の城山公園内には、白河バラ園があり、約8,000平方メートルの敷地内に300種類、6,000本の世界のバラが咲き競っています。開園期間は6月1日〜6月30日(開花状況に応じて5月下旬からの開園もありえます)で、鮮やかなバラの色彩が、古城の石垣と遠くの那須連峰に映え、訪れる多くの人たちの心を潤しているようです。

 冒頭で記載しました寛政の改革は、少し解説しますと、11代将軍の徳川家斉(いえなり)の老中であった松平定信が行った江戸幕府の立て直しの改革です。具体的な内容は、享保(きょうほ)の改革を見習った質素倹約の「節約」、でかせぎ農民を農村に帰す「人返し」、ききんに備えての米の貯え、朱子(しゅし)学以外の学問の講議を禁止、旗本、御家人の借金を帳消しにする法律の制定などです。でかせぎ農民を返すのは、農村の土地の荒れ果ての対応と年貢を増やすためで、借金の帳消しは、商人の力が強くなり過ぎたことへの抑えで、朱子学とは、中国で始められた儒学の一派で、主君への忠誠、両親への親孝行が大切であるとしたもので、日本では、林羅山によって大成され、江戸幕府の正式な学問となりました。

 小峰城と並んで有名な白河の関は、勿来の関(福島県いわき市)や念珠ケ関(山形県西田川郡)とともに、奥州三古関の一つに数えられています。蝦夷(白河駅舎えみし:日本列島の北半に古くから住んでいた人々を指す用語)の南下を防ぐ砦として5世紀頃に設置されましたが、やがて、その機能は失われ、廃関となってからは風流人たちの浪漫を誘う歌枕の関としてふたたび知られるようになりました。

 現在は、うっそうとした木々に囲まれ、現代の風流人たちの吟行の地として人気を集めています。白河の関をもっとも有名にした一句が、能因法師が詠んだ“都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白河の関”です。また、松尾芭蕉は、「奥の細道」のなかで“白河の関にかかりて旅心定まりぬ”と、みちのく路の第一歩を踏み出した地として記しています。

 それでは、時代を現在に戻して、白河市の中心市街地を見ていきます。上から3番目の画像は、中心市街地の商店街を写したものです。全国的に見られる空き店舗が増えて空洞化している状況は、白河市の中心市街地商店街の場合、それほど、ひどくはないですが、TMO街づくり会社の株式会社楽市白河は、中心市街地の活性化に向けて、取り組んでいます。先ほどの上から3番目の画像の左上の方に少し見えるピンク色の看板のマイタウン白河は、以前、イトーヨーカ堂が入っていましたが、昔ながらの小型店舗で撤退していったものです。多くの中心市街地商店街では、昭和全盛期に出来た小型店舗のダイエーはじめ、イトーヨーカ堂、ジャスコ、ユニーなどはどこも撤退して、郊外に大型店や複合店舗を建てる形で、スクラップ&ビルドを進めています。

 全国の多くの商店街が撤退した後に、マンションができたり、空き地になったりと商業機能のベースとなる生鮮産品を買うところが谷津田川なくなり困っているところが多いです。ここ白河では、かなり誘致に苦労されたそうですが、建物の1階部分には、食品スーパーを誘致しました。2階以降は、市民活動センターやNPO団体の事務所、コミュニティスペース、会議室、ボックス販売形式の販売スペースなどあります。この建物のなかに、白河のまちづくりの中心的な役割のTMO街づくり会社「株式会社楽市白河」の事務所も入っています。

 上から2番目の画像は、2階のコミュニティスペースで、高校生たちが話したり、勉強している様子を写したものです。試験期間中なのか、熱心に勉強している姿が印象的でした。また、行った日は、白河市の風景を描いた小中学生たちの絵の展示もされていました。夕方5時過ぎに着いたこともあり、1階の食品スーパーもけっこう人が入っておりました。いいなあと思った風景は、1階の食品スーパーに入ったところにある7、8人が座れて休憩できるスペースにお買い物を終えたおばあちゃんたちが、井戸端会議をしている様子でした。この施設「マイタウン白河」は、子ども連れのお母さんから、高校生、お年寄りまで訪れて、利用されており、中心市街地のほぼ中央にあり、拠点的な施設となっています。

 ここで、福島県が先行している中心市街地の旬な話題を紹介します。大規模小売店舗立地法(大店立地法)、中心市街地活性化法、改正都市計画法のまちづくり3丹羽長重文化財法見直しを巡り、政府・与党は2005年12月21日に都市計画法改正案をまとめました。政府・与党は、年明け(2006年)の通常国会に都市計画法改正案を提出し、2007年にも施行する方針です。改正案の目玉は、延べ床面積1万平方メートル超の施設の出店地域を規制したことです。出店できる地域を商業地域、近隣商業地域、準工業地域の3地域に絞りこんで、スーパーなどの大型店舗の他、飲食店や市民ホール、映画館、スタジアム、アミューズメント施設、展示場(メッセなど)も対象としています。

 これに先駆けて、福島県では、県独自の市街地活性化条例を制定しました。「福島県商業まちづくりの推進に関する条例」という名称で、2005年10月18日に公布され、2006年10月1日から施行されます。先ほどの国の都市計画法の改正より一足先に施行されます。主旨的なものは、国と同様で「歩いて暮らせるコンパクトなまちづくり」「環境への負荷の少ない持続可能なまちづくり」など掲げています。大きく異なるポイントは、国が延べ床面積1万平方メートル超に対し、福島県は6,000平方メートル以上を対象にしています。

 福島県の独自条例、国の都市計画法改正には、大型店が強く反対しており、大型店の言い分もそれなりに道理が通っておりますが、時代の流れとしては、賛否は別にして、一度はやらざる得ない状況を迎えていると私は考えています。まずは、大型店だけをターゲットに狙った法律ではないというを、行政なり、そして商店街なりが自ら率先的に動く姿勢を出してもらいたいと思っています。これまで、行政も図書館、市民ホール、市民病院などどんどん郊外に持っていったことも問題の一つで、その点はしっかり行政が反省すべきで、商店街は、商店街で商売の基本に立ち返ってお客さんの方を向いた商売の原点に戻る姿勢を取り戻して欲しいと思っています。そして、中心市街地には、複数の商店街振興組合が点在していますが、国もコンパクトなまちづくりを進めており、商店街振興組合も今の時代に合った形で、利害関係を乗り越えた商店街合併をして、中心市街地の商店街が一致団結してやっていく時代を迎えていると思います。せっかくのこのチャンスを生かすかどうかは商店街次第であり、行政次第であると言えます。行政と商店街の両方に変革が求められていると言えます。

 最後に、白河のまちの人から教えて頂いた“まちの自慢”を紹介していきます。もちろん、既に紹介しました小峰城、白河の関もまちの自慢で教えて頂きましたが、それ以外に教えて頂いたものを紹介していきます。上から4番目の画像は、白河駅舎で、画像からご覧頂けますが、三角屋根の味わいのある建物です。雰囲気的には、壊すか存続か問題になっている東京の国立駅に似ています。

 上から5番目の画像は、市民の憩いの場となっている谷津田(やんた)川を写したものです。画像の中央に見える木が、谷津田川と共に自慢の“大けやき”です。画像は、大けやきの下半分しか写っておりませんが、実際に見る大きいです。この大けやきの下に、谷津田川をまたぐようにステージをつくって、コンサートもやったことがあるそうです。

 上から6番目の画像は、中心市街地のはずれにある小南湖とほととぎす山を写したものです。ここは、奥座敷のような感じで、以前は、料亭などがあったそうですが、今はなく、寂れてしまっています。地元の人たちは、ここをまちの宝と思っており、オシャレなレストランなど今後、うまく活用していきたいとの想いがあるようです。

 食で勧められたのは、“白河ラーメン”です。実際に食べてきましたが、歯ごたえのある縮れ麺とコクがありながら後味のいいスープでおいしかったです。福島というと喜多方ラーメンが有名ですが、どっこい“白河ラーメン”もいい味です。白河麺ロードマップもあり、市内には、90軒ほどの“白河ラーメン”のお店があります。ちなみに、私は谷津田川に近い「すきや橋」というお店で“白河ラーメン”を食べてきました。ここは、夜の11時までやっており、飲んだ後に行きましたが、飲んだ後の白河ラーメンは格別でした。白河は、那須連峰を望む緑豊かな自然があり、水のがいいので、白河ラーメンのみならず、白河そば、うどんなどもおいしいということです。

 今回、白河市を紹介してきましたが、先ほどの白河駅のすぐ近くに小峰城がありますし、白河駅界隈に中心市街地が広がっており、コンパクトにまとまっており、散策するのにもってこいです。是非、皆さんも機会がありましたら、散策しながら、白河ラーメンでも食されてはいかがでしょか。

By Nagura

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