安藤広重の浮世絵にも描かれた東海道の難所・
さった峠(興津宿から由比宿へ)を訪ねて
(日本・静岡)

視察日:2009年5月16日

 東海道の難所の一つと言われる富士山を望むことができるさった峠を訪ねてきました。安藤(歌川)広重が描いた東海道五十三次のサッタ峠の街道中の「由井 さった嶺」は、まさにここさった峠から望む富士山を描いたものです。そして、ここからの景色は、安藤広重が描いた江戸時代と今も変わらぬ眺望を楽しむことができます。安藤広重の題名は由井が使われていますが、1889年の町制施行で、それ以降は、表記は由比に統一されています。

 今でも、富士山の眺めは変わらず素晴らしいですが、江戸時代もさった峠からの眺めは東海道随一の景勝地と言われていました。当時の旅人もここで一息つきながら、富士山と駿河湾の絶景を見て旅の疲れを癒したことだろうと思います。

 さった峠は、興津(おきつ)宿と由比宿の間にある約3キロ余りの峠道(標高約90メートル)です。今回、興津宿から由比宿まで実際に安藤広重も通ったであろうさった峠を巡りながら距離にして8キロ(2里)余りを歩いてきました。ゆっくり景色を見ながら歩いて2時間余りのここちよいハイキングコースです。安藤広重が浮世絵で描いた「由井 さった嶺」と同じアングルで駿河湾越しに富士山が眺められる絶景を見ようと楽しみにしていましたが、あいにくの時々小雨の降る曇り空で富士山は望むことはできませんでした。しかし、曇り空と言えども、山の崖とそこから広がる駿河湾の海の景色は素晴らしく、安藤広重はじめ江戸時代に多くの旅人が行き来したさった峠を当時を想像しながら実際に歩いて堪能してきました。

 上から2番目の画像は、まさに安藤広重が描いたさった峠から富士山方向を眺めを写したものです。晴れていると山の崖のすぐ横に富士山を望むことができます。また、上から3番目の画像は、さった峠にあった案内の看板を写してきたもサッタ峠からの眺めのです。そこには、安藤広重の「由井 さった嶺」の浮世絵と現在の晴れた時の写真が写っています。画像が小さくわかりにくいかも知れませんが、山の崖の横に雪をかぶった白い富士山が描かれています。

 上から2番目の現在の風景と上から3番目の浮世絵の当時の風景をご覧いただきますと、当時も現在もあまり風景が変わっていないのがご覧いただけると思います。上から2番目の画像を見て頂きますと、崖の下に縫うようにして、狭いところに、現在の東海道でもある国道1号線とともに、海岸にはみ出るように、東名高速道路、そして、山際に鉄道の東海道本線が走っています。海岸線の狭いところを縫うように3本が走っており、まさに東海道の交通の大動脈がご覧いただけると思います。

 今回歩いたさった峠は、江戸時代に幕府が来朝した朝鮮通信使に通って頂くために、幕府の威信をかけて明暦元年(1655年)に山腹を切り開いて新しい道としてつくったと言われています。上から2番目の画像からもお分かり頂けるように、山が海に突き出す地形となっており、山側の迂回コースができる以前は、海岸沿いに下道があり、そこは少し波が高いと頭から水をかぶってしまう岩場で、かつそそり立つ絶壁で逃げ場がなく、多くの旅人の命をうばったそうです。海岸沿いの道は、つねに荒波が押し寄せ、波にさらわれる旅人も少なくなかっただけに、親は子を、子は親をかまっている暇もなかったことから「親知らず子知らず」と呼ばれるほど危険だったそうです。

 また、一番上の画像は、さった峠の山道を写したものです。新緑の緑鮮やかな様子が伺えると思います。右側に海が広がっており、サッタ峠の看板みかん畑も少し見えますが、山道の周りにみかん畑がずっと続いているところもあります。その他に、ビワの木もところどころに広がっています。みかん畑の周りの道には、無人販売でみかんが売られているところも何カ所かあり、1袋100円でかなりたくさんの甘夏が入っていました。産直だけあり、由比宿の店頭で売られている甘夏より、かなりたくさん入って安くお得感があります。

 今回、興津駅まで電車で行って、冒頭で述べたように、そこからさった峠を通って、由比まで行きました。次に、歩いてきました興津宿と由比宿を順に紹介していきます。興津宿は、東海道五十三次のうち17番目の宿場町として栄えました。江戸時代は、西に至る旅人はさった峠を越えてほっと安堵するのが興津宿であり、東に旅する旅人は興津宿で旅装を整えさった峠越えをしたようです。

 由比宿は、興津宿の一つ前で、日本橋から数えて16番目の宿場です。由比宿も興津宿同様に、江戸からさった峠を目前に宿泊する旅人、さった峠を越えてホッと一息宿泊する旅人で賑わっていたようです。由比宿の本陣(最も格式が高く大名・貴人の専用の宿泊施設)は、上から5番目の画像の由比本陣公園のところにありました。本陣は、間口三十三間(約60メートル)、1300坪(約4300平方メートル)の広大な敷地で、敷地内には179坪(約590平方メートル)の母屋、離れ座敷、土蔵四棟などがありました。

 本陣跡地は長年当時のままの敷地で残されていましたが、平成3年からの工事により、由比本陣公園として整備されました。上から5番目の画像からも由比の宿場表門、物見櫓が少しご覧いただけますが、表門、物見櫓はじめ、石垣、木塀、馬の水飲み場、離れ座敷の記念館「御幸亭」など、できる限り昔の形に再現しています。また、土蔵の跡には、東海道広重美術館が出来ました。東海道広重美術館は、由比本陣公園内にあり、安藤広重の作品を中心に1200余点の版画が収集されています。その他、由比本陣公園の真向かいには、幕府を震撼させた倒幕計画の慶安の変(1651年)で知られる由比正雪の生家もあります。江戸時代より18代つづく今も現役の染め物屋で、季節を題材にした手拭いやハンカチ、手作りのバックなどを取り扱っています。

 上から4番目の画像は、由比宿の中でも、さった峠のすぐ麓にある西倉沢地区にある脇本陣を写したものです。脇本陣は、本陣に次いで上等な旅籠屋で、本陣に入りきらなかった場合や本陣の予備として利用されており、また、本陣と違い一般の旅人も受け入れていました。画像で見られる脇本陣は明治天皇が休憩した宿の「柏屋」さんです。画像上からも明治天皇の休憩された旨の木の看板がご覧いただけると思います。

 興津宿からさった峠の峠越えをして、由比宿まで歩き、ちょうど昼時となり、特産品でもある唯一駿河湾だけに棲息する「桜えび」を堪能してきました。桜えびは、古くは江戸時代からその存在を知られていましたが、明治27年(1894年)になって、由比の2人の漁師が偶然のことから大量の漁獲方法を発見して以来、漁法など幾多の近代化が行われ、今では特産品として名声を博しています。

 桜えびは、国内ではここ静岡県の駿河湾だけで、体長わずか4、5センチほどで、由比港と大井川港で水揚げされています由比本陣・広重美術館。富士川、安倍川、大井川といった河川から清流が海へ流れ込む駿河湾の河口沿岸、水深200メートルほどの比較的深い水深に生息しています。駿河湾の独特な構造が桜えびの生息に適しているようです。遠州灘、相模湾、東京港でも生息しているようですが、駿河湾と比べてその数は極めて少ないということです。

 さった峠を下りてきたところに「くらさわや」という桜えびのお店があるのですが、ちょうど昼の12時頃で行列ができており、もう少し歩いて昼時を少しずらそうとそこはあきらめました。ちょうど、タクシーで来ていたお客さんもおり、長い行列をみて引き返していきました。そこから由比駅を通り過ぎ1キロあまり歩いたところにある「開花亭」で桜えびを食べてきました。「くらさわや」も「開花亭」もどちらもガイドブックに載っているお店だけあり、「開花亭」でも30分ほど待ちました。

 桜えびのかき揚げを以前も食べたことがありますが、今回、生の桜えびも食べてきましたが、わさび醤油で食べた生の桜えびはなかなかうまかったです。また、お馴染みの桜えびがぎっしりのかき揚げは、海老が混ざっている海老塩で食べたのが美味でした。

 駿河湾ならでの地場の桜えびも堪能できます。皆さんも天気の良い日に、絶景を眺めることができるさった峠に行かれてはいかがでしょうか。今回、私は仲間うちのグループで行きました、JR東海の主催のさわやかウォーキングでも興津から由比へのハイキングコースがあり、また各種バスツアーもいろいろとあると思います。

By Nagura

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