大川市のまちづくりを訪ねて (日本・福岡)

視察日:1999年7月18日

 来年度(平成12年度:2000年度)から平成21年度(2009年度)までのこれから10年間の計画「大川市第4次長期総合計画」を策定中の福岡県大川市(人口約4万4千人)を訪ねて参りました。大川市は、福岡県の南大川中央公園緑のじゅうたん西部の筑後川の下流(むつごろうのいる有明海にそそぐ)に位置し、筑後川を越えればそこはもう佐賀県です。福岡市の繁華街・天神からですと、西鉄電車で水郷の街として有名な柳川駅まで行き、そこからバスを乗り継いでトータル1時間少しで行くことができます。以前は国鉄(現JR)佐賀線が走っていましたが、昭和62年(1987年)に廃止されてからは鉄道が走っていない状態となっています。しかし、昨年7月(1998年)に開港した佐賀空港は、大川市から数キロメートルのところにあり、県は違いますが、非常に便利なところに位置しています。今回、私は名古屋空港から福岡空港へ降りてから行きましたが、発着の便数の関係もありますが、時間さえうまくあえば、名古屋空港から出発すれば、1時間半もあれば、大川市の市街地まで行くことができます。時間的(名古屋空港までの時間を考慮して)には、名古屋から新幹線を使って東京に行く(約2時間)くらいの感覚です。

 文頭で出てきました長期総合計画とは、簡単に言えば、今日的な新たな視点と長期的展望に立ってこれから10年間の「まちづくり」の指針を示すものです。大川市の進むべき方向性を見定め将来像を設定して、その将来像の目標に向け、必要な施策、事業を系統建てて示すもので、大川市が行政を行うにあたって最も基本となる計画と言えます。
 大川市の「大川市第4次長期総合計画」策定を進めるに当たって、まず感心したのは、大川市の職員の方自らが先頭に立って、市民を巻き込んで手作り感覚の計画づくりをしている点です。当り前と言えば当り前のことですが、コンサルタントなど外部機関に委託して任せっきりになっている自治体が見受けられる中ヴィラ・ベルディ、長期総合計画にかける大川市の意気込みが感じられました。大川市の場合は、まったくコンサルタントを使っていないというわけではなく、出来ることはすべて役所内で行い、サポートとしてコンサルタントを頼んでいるそうです。
 これから自治体が「まちづくり」を進めていくに当たって、まちづくりは取り組む範囲が広いだけに、役所内では、人材等確保が難しい場合も出てくると思います。その時にコンサルタントなど外部機関を使ったり、場合によっては市民の中から能力ある人を抜擢したりする場合も出てくるものと思われます。
 今回の大川市の「大川市第4次長期総合計画」策定に当たっての取り組みは、今までとは違った意味の自治体の自発性が感じられ、市民、商店街、青年会議所などの各団体、コンサルタントなど外部との連携をうまく図って進めていく一つのモデルになるのではないかと思っています。現在、市民との懇談会、インターネットを通しての全国からの意見などを集約して基本構想(案)が出来ており、今後、審議会などを重ねて今年度中(12月に議会に提出)に策定する運びとなっています。基本構想(案)の中では、将来都市像案として「めざせっ!元気・快適空間 インテリアシティおおかわ」が掲げられています。ちなみに、大川市のホームページも、市の職員の方の手作りです。派手さはありませんが、手作りの温もりが伝わってくるページです。Friends&Circleリンク集に紹介してありますので、よろしかったら一度ご覧になられてはいかがでしょうか。

 前置きがだいぶ長くなってしまいましたが、大川市がどのような“まち”なのか見ていきます。大川市は、全国的に名の知れた全国屈指の家具の産地です。大川総桐たんす、大川ランマ彫刻な旧吉原家住宅外観ど木工の街として室町時代から約460年の歴史を持っており、熟練した匠の技・伝統技術が現代に受け継がれています。大川市内には、家具の販売店、製造する工場などがそこかしこに見られます。その中の一つで、けっこう立派な建物の陣内家具は、俳優の陣内孝則氏の実家だそうです。
 また、大川市は、昭和初期から約4,000曲余りの歌謡曲を作曲して大ヒットさせた古賀政男氏の生誕地として有名です。市内には、古賀政男記念館があり、覗いてきましたが、50代〜60代と思われる女性の方が多く見られました。古賀政男記念館には、愛用のギター、大正琴、マンドリン、名曲「影を慕いて」の原譜などが展示されているとともに、生家が復元され開放されています。最近では、演歌歌手の大川栄作氏がここ大川市の出身です。
 一番上の画像は、大川木工まつりのメイン会場ともなる大川中央公園内にある緑あふれる広場を写したものです。大川中央公園周辺には、古賀メロディーが流れる散歩道が整備されています。また、大川中央公園内にあるトイレに入りますと、センサーが人が入ってきたのを認識して自然に古賀メロディーが流れ出します。実際にメロディーが奏でるトイレに入ってみました。私自身、古賀メロディーの全盛期を知らないこともありますが、リラックスするというか何となく少し落ち着かないような感じもしました。しかし、試みは非常におもしろいと思います。

 上から2番目の画像は、全国のパティオ事業(国の補助金がでる高度化事業の一つ)の第1号となったヴィラ・ベルディ(1995年4月オープン)の中庭を写したものです。パティオとは、スペインやイタリアの住宅に囲まれた中庭のことを指します。ヴィラ・ベルディは、イタリア風にまとめらており、15店舗ほどお店が入っています。中庭では、朝市、夜市、音楽会などの催しが行われ、寛ぎ旧吉原家住宅説明風景、憩いの場となっています。アットホームな雰囲気が感じられ、以前に視察レポートで紹介しました静岡県湖西市にあるアルカミーノに近いイメージを感じました。大川市の伝統の木工をアピールするアンテナショップ・ショールーム的なものが、ヴィラ・ベルディの中にあれば、大川らしさがもっと出るのではないかと思った次第です。

 上から3番目の画像は、ヴィラ・ベルディの裏手側に広がっている古い街並みが残っている旧吉原家住宅(福岡県指定文化財)を通りから写したものです。この辺りは、江戸時代、肥後から肥前に至る街道沿いの柳河藩の宿場町兼河川港町として栄えたところです。嘉永3年(1850年)には、吉田松蔭がここを利用して佐賀に渡っています。
 旧吉原家住宅は、屋敷内が一般公開されており、気さくなおじさんがわかりやすく建物の細部まで詳しく説明して頂けます。上から4番目の画像は、そのおじさんがランマを説明しているところを写したものです。このおじさんに、一通り説明を受けた後、いろいろとお話を伺ってみると、以前小学校の校長先生をされていたそうです。道理で、説明がたいへんわかりやすかったわけです。ちなみにおじさんのお名前は、石橋さんです。一通り説明を受けた後でも、屋敷の造りの説明は尽きず、伝えたいことがたくさんあるようでした。現在は、建築関係の専門家の方が多く見えられ、石橋さん自身も勉強になる部分も多いそうです。石橋さんが生き生きと楽しそうに説明されているのが印象に残りました。石橋さん自身も日々新しい発見があり、楽しいとおしゃっていました。これから、一般の観光客が増えてくるに従い、石橋さんの仕事もお忙しくなっていくことと思いますが、その頃にはメディアに出演するなど“名物おじさん”になっているような気がいたします。大川市に行かれる方は、是非旧吉原家住宅に足を運び、石橋さんの説明を受けられてはいかがでしょうか。現代でも十分通用する日本家屋のすごさというか発見がきっと見つかることと思います。画像からも分かりますが、今回、石橋さんは背広姿で説明されていましたが、ハッピ姿、武家風の衣装などの姿で説明されたら、より親近感が感じられおもしろいのではないかとふと思いました。

 街の活性化へ向けて、大川青年会議所でも、独自に「モッカ(木家)シティ構想」というものを掲げています。また、ひとりひとりの心に自分たちの住むまちを好きになってもらおうという“火種人(ひだねびと)”と言葉も掲げています。
 今回、この“火種人”という言葉を聞いて、ケネディ大統領も尊敬したという上杉鷹山がまったく知らない土地の米沢藩(現山形県米沢市)の藩主として迎えられ、城下へ入っていく場面が脳裏に浮かびました。少し状況説明をしますと、土地は荒れ絶望のどん底にあった米沢藩に入っていく上杉鷹山は、道中の籠の中で煙草盆の灰を見て、今の米沢藩はこの灰と同じだとしばらく見つめていた。やがて、上杉鷹山はおもむろに灰の中をかき回してみると、小さな火の残りが見つかった。その残った火を見て、火種は、新しい火を起こし、その新しい火はさらに新しい火を起こす。その繰り返しが国をも変えていくとハッと気がついたのです。すぐに上杉鷹山は、籠を止めてそのことを部下たちに話したのです。部下たちは賛同し部下たちの心に火がつき、その部下たちのひとつひとつの火種が、領民たちの心にも火をつけ、米沢藩は活気づき、特産品が次々と産まれ、国は富んでいったのです。大川青年会議所でもそのような意気込みで、大川市を活性化していくもようです。

 今回、大川市を訪ねてみて、予想した以上にハード的な整備が進んでいるのに驚きました。ハード的な整備を見る限り10万都市くらいのイメージがしました。水辺空間の整備もされており散策路も施してあります。しかし、水があまりきれいではなく、若干臭いがするという残念な面もありました。せっかくきれいにハード面が整備されているだけに、今後は、それを生かすソフト面な取り組みが望まれるところです。水一つきれいにするのでも、各家庭から出る生活用水から見直さなければならず、市民の意識の高揚が必要となってきます。まずは、職員の意識の変革というか高揚から始まり、その火種が市民に飛び火していくのだろうと思います。“意識の高揚”は苦になるのではなく、“自ら楽しんでやる”という方向性が必要であり、“楽しむこと”が原点ではないかと思います。

 大川市は、筑後川という雄大な自然、きれいに整備された街並みなど環境が整っているだけに、これからの10年のソフト的な人を生かした取り組みが楽しみな街であり、期待が持てます。鉄道機関がないという不利な面はありますが、それを逆手にとって奥座敷的な(京都で言えば宇治のような)文化格調高い街に育っていって欲しいものです。既に木工の伝統技術という格調の高さがあるだけに、21世紀をにらんだインテリアとしての木の使い方、音楽の街と連動した木を生かした“大川楽器”の製作などこれからどんなものが新たに生み出されてくるのか楽しみです。インターネットの本格的な普及段階を迎えるに当たって、木工の産地だけに、個々の顧客にリアルタイムで対応できる強みはあります。“伝統工芸の街”復活に向け、時代の追い風が吹きつつあるように思います。

 今回、大川市内の各所を巡るに当たりまして、大川市役所の山田さんにご案内いただきました。また、大川青年会議所の副理事長の安達さんにもヴィラ・ベルディで昼食を兼ねながらいろいろとお話を伺いました。最後に、紙面(ホームページ・メールマガジン上)を借りまして、お礼申し上げます。ありがとうございました。

By Nagura

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