抹茶生産日本一の小京都と呼ばれる
城下町・西尾を訪ねて 
(日本・愛知)

2007年3月17日

 松平六万石の城下町として賑わい、その名残りが今でも随所に残っている三河の小京都と呼ばれている愛知県西尾市(人口107,009人西尾劇場:2007年3月1日現在、面積75.78平方キロメートル)を訪ねてきました。全国各地に小京都と呼ばれているところはありますが、愛知県内では、ここ西尾と犬山だけです。

 小京都について少し触れますと、小京都とは、古い町並みや風情が京都に似ていることから、各地に名づけられた街の愛称です。室町時代以降、各地の大名が京都を真似した町づくりをし、それが小京都の起源になっています。

 小京都と呼ばれる地域が集まる団体として「全国京都会議」があります。1985年に京都市を含む26市町で結成され、2006年3月時点で51市町が参加しています。基準として「京都に似た自然と景観」「京都との歴史的なつながり」「伝統的な産業と芸能があること」の3つの要件があり、そのうち一つ以上に合致している必要があります。これまで私が視察した中でも、小京都と呼ばれる“まち”は、冒頭で紹介しました犬山はじめ、京都高山郡上八幡山形知覧などがあります。

 西尾の地形的には、三方は丘陵地で、一方は三河湾を望むことができます。そして、豊かな実りをもたらす矢作川が市内を貫くように流れています。矢作川に関しては、視察レポート「愛知県中央を流れる矢作川の取り組み」を併せてお読み頂けましたらと思います。毎年、春と秋には、西尾市内の矢作川の支流の矢作古川を下る舟遊びが催されています。屋形船に乗ってお茶や食事を楽しみながら、昔ながらの自然の堤防が残された川面からの風景が堪能できます。

 上から3番目の画像は、西尾小京都めぐり観光ボランティアガイドの近藤さんからまち散策にあたって観光案内所「にしおよいとこ案内処」で説明新しい街並みを受けながら、一緒に行ったメンバーと抹茶をいっぷく頂いている様子を写したものです。観光案内所「にしおよいとこ案内処」は、昨年(2006年)10月1日に名鉄西尾駅構内にオープンしました。改札を出て、階段を下りた真正面のたいへんわかりやすい絶好の場所にあります。観光パンフレットの配布やイベント案内はじめ、西尾の観光情報の提供を行っています。

 ちなみに、観光案内所「にしおよいとこ案内処」では、第一、第三の土日に無料で抹茶のサービスが頂けます。ちょうど西尾に行った時が、第三土曜日で無料で西尾の抹茶の接待を受けることが出来ました。西尾は全国生産量約20%を占める生産日本一の抹茶の里です。その歴史は文永8年(1271年)創建の実相寺境内に、その開祖・聖一国師がお茶の種を播いたことに始まります。温暖な気候、矢作川がもたらす豊かな土壌と川霧が良質な茶葉を育てます。西尾では茶摘み体験が学校教育の体験として入っています。

 また、昨年(2006年)10月8日には、上から2番目の画像の中央通りはじめ中心市街地を会場に「ギネスに挑戦!まちなか1万人西尾大茶会」が開催されました。この茶会には、市民をはじめ東は群馬県から西は長崎県まで14,718人が参加し、見事に茶会のギネス記録に認定されました。スペシャルゲストには加藤茶さん(カトちゃん)が来て盛り上げ、市長が「日本の心は茶の心なり。茶の心こそ西尾の心。真心こめていただきます」というキーワードを詠んだ後、14,718人が一斉に抹茶を味わったそうです。

 これまで紹介してきたように、お茶どころの城下町であり、西尾は古くから京都の寺社や公家ともゆかりが深く、小京都といわれる由縁でもボランティアガイドあります。それでは、次に情緒あふれるただずまい、懐かしい気持ちにほっとさせるスポットを紹介していきます。一番上の画像は、時代を感じさせるモルタルの壁の映画館「西尾劇場」の外観を写したものです。

 西尾劇場は、名鉄西尾駅から路地づたいに少し入ったところに建っています。大平洋戦争前の1940年9月に地域の娯楽施設としてでき、かれこれ67年余経っていますが、今も現役です。元々は芝居小屋で、こけら落としは歌舞伎公演だったようです。その他、演劇、政治家の講演会や市民集会など幅広く使われ、映画館になったのは戦後の1946年で、GHQ(連合軍総司令部)の強制だったそうです。

 時間が止まったかのような西尾劇場は、館内には、鶴田浩二や高倉健といった銀幕の大スターたちの往年の若い姿のポスターが飾ってあります。邦画が盛んになる1950年代からは劇場前に自転車があふれたそうで、その後、テレビが普及し、現在では、近隣のシネマコンプレックス等で往時の賑わいはなくなっています。しかし、現在でも「ワンピース」など子ども向けのアニメの上映の他、教育や福祉の作品も上映しています。さらに、一番上の画像上からもなつかし駄菓子という文字が見られると思いますが、駄菓子コーナーもあり子どもたちに人気です。地域ならではの映画館として、流行に振り回されずに、今でも地域の大切な場所として生き続けています。

 上から5番目の画像は、西尾藩六万石の居城の西尾城があった西尾市歴史公園を写したものです。画像から見える城らしきものは、天守閣ではなく、本丸古い町並み丑寅櫓(ほんまるうしとらやぐら)です。西尾城は、承久の乱(1221年)の戦功により三河国の守護に任じられた足利義氏が築城した西条城が始まりと伝えられています。その後、西尾城と改名され、徳川家康の配下の武将・酒井重忠によって、大修築が行われ、現在の西尾城が形付けられ、江戸時代の終わり、廃藩まで続きます。

 西尾城の天守閣は、明治の初めに壊されてしまいましたが、全国の近世城郭のなかでも珍しい建て方だったそうです。普通、天守閣は本丸に建てられますが、ここ西尾城は、二の丸に建てられていました。現在、画像上に見える本丸丑寅櫓とともに、二の丸正面の鍮石門(ちゅうじゃくもん)も復元されています。鍮石門は威風堂々としたたいへん立派な門で、二の丸に当時、天守閣があったことが思い浮かびます。確かに、西尾城跡の公園内に入りますと、どこに天守閣があったのかと構図的にわかりにくいですが、二の丸にあったと聞くとなんとなく納得できます。また、近隣のかつての城郭の中に位置する西尾小学校、西尾幼稚園なども風情ある建物となっています。

 城下町の西尾も昔ながらの風景を残しつつも時代の流れで変わってきています。ここ数年、電線の地中化などでかなり街並みが刷新されており、中央通りは見違えるようにきれいになっていました。昔は、細い一方通行だったのですが、その面影はありませんでした。上から2番目の画像が、道路が広がり、一変した中央通りを写したものです。この通りには、かつて大正14年建築の鉄筋コン西尾城クリート造3階建ての百貨店「井桁屋」がありました。ルネッサンス様式を基調とした古典復古様式の芸術的な味わいがある建物でしたが、道路拡張によって取り壊されていました。一時、井桁屋の保存運動もあったようですが、資金面などいろいろな面で難しかったようです。

 一方、中央通りに交わる本町の通りは、小京都“西尾”を感じさせる店構えの店が多く、今も昔の面影が色濃く残っています。上から4番目の画像は、本町の通りにある呉服店の大黒屋さんの外観を写したものです。

 あと、今回、時間がなく歩けませんでしたが、ボランティアガイドの方から他のお勧めスポットをお聞きしましたので紹介します。順海町通りの路地は、市内で最も城下町のたたずまいを残しているところだそうです。順海町通りは、天王町から肴町へぬける小径で、知名の由来は、唯法寺和尚順海が道路を開いたことによると伝えられています。また、冒頭で、矢作川のもたらす豊かな土壌が、抹茶処につながっている話をしましたが、その他、農産物の生産も盛んで、花き産業においても、バラ栽培の有数の産地でもあります。ちなみに西尾市の花は“バラ”です。

 久しぶりに西尾に行きましたが、情緒ある風景を残しつつ、環境整備が進められてきているなあと感じました。環境整備も二つの面があり、ハード的な整備とともに、ソフト的な“おもてなし”という観光客受け入れも進んできているように感じました。今回、ご案内いただいたボランティアガイドの近藤さんはたいへんユニークな方で、まち歩き後にご一緒にメンバーとともに食事をさせていただきましたが、西尾への熱い思いを語って頂きました。皆さんも環境整備が進んでいる西尾へ行かれてはいかがでしょうか。ボランティアガイドさんにご案内頂きますと、さらにまちを深く見ることが出来ます。

By Nagura

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