童話作家の新美南吉が安城高等女学校の先生として
通った安城市の“みゆき商店街”を訪ねて
(日本・愛知)

視察日:2011年8月5日、6日、7日

 2013年に新美南吉(1913年〜1943年)生誕100年を迎えます。多くの方が、小学校4年生の教科書で「ごんぎつね」を学ばれて新美南吉をご存ランプのアーチ飾り知ではないでしょうか。新美南吉は、教科書に出てくる「ごんぎつね」はじめ、「手袋を買いに」「おじいさんのランプ」「花のき村と盗人たち」「牛をつないだ椿の木」などの童話作家として広く知られています。

 読まれた方はわかると思いますが、新美南吉の作品は、庶民の生き様や子どもの生活、身近な動物たちを描きながら、心の通い合いや美しい生き方といった普遍的テーマをストーリー性豊かに描かれています。美しい文章、巧みな心理描写、ユーモアに彩られた作品の数々が、新美南吉の死から60年以上経った現在でも多くの読者に愛されています。

 今、生誕100年にあたり、生誕地の愛知県半田市(人口119,931人、47,369世帯:2011年9月1日現在、面積47.24平方キロメートル)やゆかりの地の愛知県安城市(人口181,662人、68,539世帯:2011年9月1日現在、面積86.01平方キロメートル)では、南吉にちなんだまちづくりが進められています。生誕100年に向けて、すでに2010年11月1日に「新美南吉生誕100年記念事業実行委員会」が立ち上がっており、半田市、新美南吉記念館はじめ、半田市内の南吉に関する関係団体とともに、安城市や安城の南吉に関する団体もオブザーバーとして入っています。すでにプレイベントも始まっており、今後、様々な事業が計画されています。

 以前、新美南吉の生誕地である半田を訪ねて、新美南吉の生家や養子にいった先の養家、新美南吉記念館、新美南吉がよく散歩した矢勝川の百万本の見事な彼岸花をみてきました。その様子は、視察レポート「赤レンガ建物&南吉のふるさと半田を訪ねて」の中で少し紹介してありますので、合わせてご覧頂けましたら新美南吉の人形と思います。そして、今回は、新美南吉にゆかりのある安城の南吉にちなんだ取り組みに焦点をあてて紹介していきます。

 新美南吉は童話作家として全国的に有名ですが、ここ安城では、教員としての南吉先生として親しまれています。新美南吉は、25歳から亡くなる直前の29歳まで、安城高等女学校(現在の安城高等学校、安城高等学校は郊外に移転し、当時、安城高等女学校があった場所は現在、桜町小学校になっています)の先生として勤めていました。教科として、1年・2年・3年・4年の英語と1年・2年の国語と農業を担当していました。また、教員になった年に1年生56名の担任となり、彼女たちが卒業するまで担任を務めています。

 新美南吉先生の教え子たちもすでに80歳代を迎えていますが、まだまだ健在の方もいらっしゃいます。安城市では、今から30年以上前の1977年に、新美南吉の作品を読んで南吉を深く知ろうと発足した「新美南吉に親しむ会」というグループが中心的に動いています。平成11年(1999年)に、南吉先生が在籍していた時期に安城高等女学校で学んだ16回生から24回生までの教え子全員531人に調査し、4割近くから回答があり、さらに、そのうちの30人に直接会って話を聞いています。

 その調査結果から南吉先生の人柄が伝わってくる文面を少し紹介していきます。南吉先生は教え子たちにとって心ときめく存在だったようです。南吉は25歳で教員になり、当時は戦争中で年配の教師が多く、若い南吉は目立ったそうです。やせて背が高く、片方の肩を下げて大股で歩き、神経質そうでいかにも文学青年然とした風貌に「お熱を上げていた生徒がたくさんいた」そうです。また、「いつも背広のポケットに岩波文庫をしのばせていた」とか「黒板に自作の詩を書いていた」とか「南吉先生の作品の浄書(下書きをきれいに書き直すこと)を手伝った」など、作家として南吉に触れる機会を得た生徒もいたようです。

 一方、教師像としては、「始業式の日に生徒全員の名前を覚えた」とか「英語の発音は厳しかった」とか「手手ぶくろを買いにの灯籠紙を出すと必ず返事が来た」など熱心な教師像が浮かんできます。学科では、英語、国語、作文を習った生徒が多く、作文については「美辞麗句が嫌いで、平易でわかりやすい文章を好んだ」そうです。また、人気者ゆえに「音楽の先生と仲が良かった」と生徒の興味をそそった面もあったそうです。

 新美南吉に親しむ会は、今年(2011年)7月に安城市長とランチミーティングを行っています。その中で、新美南吉に親しむ会の方々から市長に向けて「安城市と新美南吉のつながりをもっとPRしたい」「“おじいさんのランプ”“花のき村と盗人たち”“牛をつないだ椿の木”などの代表作は安城で執筆された」「安城で南吉が過ごし、下宿していた建物が現存しているし、直筆の書類も多く残っているのでまちづくりにいかせないか」「安城高等女学校で教鞭をとられていた5年間は、不遇な人生の中で、とても幸せな時を過ごされたと思う」「教師としての南吉をPRしていくのもいいと思う」などおっしゃっています。また、市長からは「新美南吉生誕100周年にあたり、南吉にちなんだまちづくりを進めていきたい」「全国の小学4年生が“ごんぎつね”を学んでいるので、全国から遊びにきたいと思ってもらえると思う」と述べられ、推進していく意気込みが感じられます。

 JR安城駅の中心市街地の商店街も新美南吉のまちづくりに向けて頑張っています。みゆき商店街は、南吉先生が安城高等女学校に毎日通った通りで、通りのお店では南吉先生が買い物にきた逸話が残されています。のちほど、南吉先生の日記を少し紹介します。中心市街地の商店街の中でも老舗が多い「みゆき商店街」では、5年ほど前からクーポン券付きの商店街オリジナルカレンダーを作成しており、今年(2011年)のカレンダーは、新美南吉をテーマにしたものです。南吉史話として、毎月一つずつ南吉の安城におけるとっておきの話が載っており、1年間を通して、12の史話を楽しむことができるようになっています。

 そして、安城の夏の風物詩の「安城七夕まつり」では、みゆき商店街は新美南吉をテーマに数々の飾りを製作しています。一番上の画像は、七夕まつみゆき商店街の通りり会場エリアに入る玄関口のアーチ飾りを写したものです。画像上のアーチ飾りは、新美南吉の作品の「おじいさんのランプ」をイメージしたもので、複数の色とりどりのランプを見ることができます。また、少し見づらいとは思いますが、アーチ飾りの少し奥に、道路上に大きなランプも置いてあります。

 上から2番目の画像は、張りぼての新美南吉の人形を写したものです。南吉先生は、人形のような当時では、ハイカラのスーツ姿でみゆき商店街を通って、安城高等女学校に通っていたそうです。南吉の人形の後ろに、当時通っていたころの説明書きがあり、それを読んでいるご夫婦の方も画像上から見られます。

 上から3番目の画像は、大きな灯籠を写したものです。この灯籠は、一面に4枚の絵が描かれており、合計四面で16枚の絵が描かれています。16枚の絵には、文字と絵が描かれており、順番に16枚を見ながら読んでいきますと一つの作品になっています。画像上から新美南吉の何の作品かわかった方もすでにいらっしゃるかも知れませんが、「手袋を買いに」の作品が描かれています。ちなみに、昨年(2010年)の七夕まつりの灯籠は、安城の中心市街地に位置する花ノ木町が舞台となった「花のき村と盗人たち」の作品を描きました。さらに、それ以前には、南吉の代表作でもあるみんなが知っている「ごんぎつね」の作品を描いたこともあります。

 上から5番目の画像は、みゆき商店街の通りにある老舗の本屋さんの「日新堂書店」を写したものです。南吉はよく日新堂書店を訪れていたそうです。南吉の日記にも日新堂の名前は良く出てきます。南吉の日記の一部を少し紹介します。昭和15年11月18日の日記から「“銭”が婦女界一二号に発表される。日新堂で“文芸”を買い、“婦女界”はあるかときいたら、も日新堂書店う売り切れましたという。博文堂によって帳面を買い、“婦女界”は?ときくと、奥から持ってきた。パラッとめくると、頁の上の余白のよくタイトルが小さく印されてある箇所に“銭”という字が見えた。あるなと思って前へ頁をくってゆくと、名と題の書かれた頁にきた。よかったと思った。」と書かれています。また、昭和16年2月23日の日記から「今日はサラリー、日新堂の払いが十八円なにがしかあるのには、めんくらった。」と書かれています。日新堂書店で付けで買っている様子が伺え、給料が出た際に払っている様子が伺えます。また、文房具屋さんの博文堂さんは現在も、日新堂書店の斜め向かいにあります。博文堂さんは、現在は、文具はじめ事務機器中心ですが、当時は、雑誌等の書籍も置いていたそうです。

 また、現在進行形で事業計画として進んでいる「南吉観光事業」では、新美南吉が通ったみゆき商店街内に、南吉を広くPRする展示企画や南吉ファンの集いの場として、「南吉かふぇ」という拠点づくりを進めています。拠点づくりは、行政、会議所の協力を仰ぎながら、商店街と新美南吉に親しむ会の方々が中心になって進めているようです。南吉生誕100年の頃には、全国の南吉ファンと新美南吉に親しむ会の方々が南吉談義を交わす場ができているかも知れません。

 童話作家を活かしたまちづくり・商店街活性化という点では、先輩格の岩手県盛岡市の材木町商店街があります。以前、訪れたことがあり、視察レポート「新緑の美しい盛岡市を訪ねて」の中で少し紹介してありますので、合わせてご覧頂けましたらと思います。盛岡市の材木町商店街は、宮沢賢治にちなんだまちづくりをしています。宮沢賢治は、花巻で生まれ、盛岡で学生生活を送っています。新美南吉が半田で生まれ、安城で教員生活を送った面では、生誕地でないところで商店街が童話作家にちなんだまちづくりをしていこうというところは似ていると思います。また、教師という点では、宮沢賢治も花巻農学校で数年間ではありますが、教師として生徒たちに作物肥料、土壌、英語、代数、化学、農業実習など幅広く教えています

 宮沢賢治の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテイカラズ イツモシズカニワラッテイル ・・・・」という詩は皆さんも御存じではないでしょうか。また、「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」「グスコーブドリの伝記」など数々の童話も残しています。私も子供の頃、読んだ記憶がよみがえってきますが、南吉とはまた趣きが違うメルヘンの世界というか賢治ワールドなるものが思い出されます。新美南吉と宮沢賢治は、地方で教師を務め若くして亡くなった童話作家という共通点から比較して語られることが多く「北の賢治、南の南吉」と呼ばれ、好対照をなしています。

 安城の新美南吉にちなんだまちづくりはまだまだ始まったばかりですが、市長みずから積極的に取り組んでいく姿勢を見せており、行政と会議所のバックアップがあり、人財という面では、30年以上の活動実績がある南吉に本当に熱い思いをもっている南吉に親しむ会のメンバーの方々が揃っており、そこに商店街の若手が加わり、これからの展開が楽しみなところです。是非、全国の南吉ファンの皆さん、南吉の生家・養家や南吉記念館のある半田とともに、車なら30分から40分くらいで移動できますので、是非、南吉先生が教員として過ごした安城にも足を伸ばされてみてはいかがでしょうか。

By Nagura

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