三河地方の“農業”“工業”を支えている
明治用水を訪ねて 
(日本・愛知)

視察日:2002年6月6日

 愛知県三河地方の“農業”“工業”を支えている明治用水を訪ねて参りました。明治用水は、愛知県のほぼ中央を流れる矢作川から取水し田園(安城市)安城市を中心に、岡崎市豊田市知立市刈谷市高浜市、碧南市、西尾市の8市にまたがる用水路です。

 主として、矢作川右岸の水田約7,000ヘクタールを灌漑(かんがい:農地をうるおす)している他、工業地帯への水の供給も行っており、まさに三河地方の“農業用水”“工業用水”として三河地域の生活を支えています。

 現在、三河地方には、一番上の画像(私の住んでいる安城市における水田の風景)のような豊かな水田が広がっています。この豊かな水田は、明治用水のおかげと言えます。明治用水が引かれる前までは、この地域は江戸時代、安城ケ原と呼ばれる荒れた碧海台地でした。明治用水の成り立ちは、後ほど紹介しますが、その前に“日本デンマーク”と呼ばれた農業を見ていきます。

 大正時代末期から昭和時代初期にかけて、安城を中心とした旧碧海郡(現在の安城市、刈谷市、知立市、高浜市、碧南市にあたる)は、日本デンマーク(地元では“日本のデンマーク”となぜか“の”が入る形で呼ばれている)と呼ばれていました。たしか、1970年代くらいまでは、社会科の教科書にもこの地を“日本デンマーク”として紹介されていましたので、記憶にある方もいらっしゃることと思います。

 なぜ“日本デンマーク”と呼ばれるようになったのか少し紐解きますと、当時、世界的な農業国であったデンマークの名前が冠に付いたように、安城を中心とした旧碧海郡は、農業経営が多角的で教育・指導機関が充実しており、組合組織サイクリングロードが発達していたことなど、農業のあり方が先進的であったことが挙げられます。さらに農業医療の改善を図るために病院(現在安城の中心的な医療機関である安城更生病院はその流れから誕生しています)、農民の読書に対する要望に応えて農業図書館を設立したり、地域の書店が出版活動に力を入れるなど、経済的な豊かさだけではなく、人間としての心豊かに生きる場として“農村”づくりに意欲的に取り組んでいたことなど農業における総合的・複合的な取り組みが“日本デンマーク”と言われた由縁と言えます。

 大正時代末期から昭和時代初期にかけて、“日本デンマーク”と呼ばれたこの地域に全国各地から視察団が訪れ、なかでも、視察に来た人が必ずといっていいほど訪れたのが板倉農場(旧碧海郡安城町)です。板倉農場の経営の4大方針は、「大面積の経営」「肥料の自給と地力増進」「経営の複式化」「技術の研究」で、当時の全国の耕地面積の平均が1町歩(約4ヘクタール)程度であったのに対し、板倉農場は、4町歩で裏作を加えると6町歩の広大な面積をほぼ一カ所に集めて経営していました。また、米作一辺倒ではなく、梨、西瓜(すいか)、キャベツ、養豚、養鶏などを行い、多角的な経営を実践して労働の季節的な片寄りをなくしていました。

 板倉農場の経営方法は、農場主板倉源太郎氏が「私の農場は、付近一般の方々のやり方と比べて特別にこれという変わったことがある訳ではありません」と述べており、必ずしも独創的であったというわけではありませんが、農業の個々の要素を工夫とアイデアと勤勉さによってとことせせらぎホタルの里ん突き詰め、当時の農業の一つの形を、極限の形で開花させていったと言えます。何か、同じ三河を地盤として今や世界的な企業になりつつあるトヨタ自動車に合い通じるものがあるような気もいたします。トヨタの代名詞となっている必要な品物を必要なときに、必要な量だけつくることを意味する“ジャスト・イン・タイム”は、言われてみれば当たり前なことをトヨタ流の改善、勤勉さで粘り強く突き詰めて、システムとしてさらに組織風土(全社員のマインド)として作り上げていって、そして、なお現在に至っても終わることのない改善を繰り返しているところが強みと言えます。

 “日本デンマーク”は、当時、こうした農業の活動がある程度成果をあげた地域として、当時理想の国、模範とすべき国とされていたデンマークのイメージがこの地に投影された形です。余談ですが、この“日本デンマーク”と呼ばれた面影は、今でも形やイメージとして残っており、新幹線の三河安城駅の駅舎はデンマーク調の建物となっています。また、「花・みどり・暮らしの提案」をコンセプトにつくられた農業を全面に出したテーマパーク“デンパーク”という名称は、小学生が名付けた(公募により選ばれた)もので、デンマークと公園のパークを組み合わせたものです。視察レポートのページでデンパークを紹介してありますので、併せてご覧いただけましたらと思います。デンパーク内には、デンマークの町並みやデンマークの民族衣装を着て写真撮影ができるコーナーもあります。

 “日本デンマーク”の紹介が長くなりましたが、明治用水のできる前の状況と明治用水ができて、現在に至る流れをかいつまんで紹介します。明治用水は明治川神社、今から約200年前に現安城市和泉町で酒造業を営む都築弥厚が酒米確保と農民の貧窮を救うため、私財を投じて矢作川から水を引く計画を立てたことが始まりです。しかし、この計画を実現するには、莫大な費用がかかり、江戸幕府に願い出た結果、開田された土地を天領とすることで認可されましたが、計画は実現には至りませんでした。明治用水の舞台である当時の碧海の台地は、荒涼としたやせた地であり小松や雑木林に覆われ、この中に無数のため池が散在していました。当時、ため池の延べ面積は約488ヘクタールで、これを水源として灌漑されていた水田は約1,200ヘクタールと記録されています。現在の約6分の1です。

 そして、時は流れ、江戸から近代国家を目指した明治の時代となり、都築弥厚の計画が引き継がれ、1871年(明治4年)の廃藩置県により愛知県となったのを機に県の事業として進められていきます。その結果、明治用水は、1880年(明治13年)に念願の通水が始まりました。この明治用水が、荒涼とした碧海台地を潤し、その後の農業従事者の努力もあり“日本デンマーク”と呼ばれるまでになったわけです。

 1960年代以降の高度成長時代、明治用水を取り巻くこの地域は、自動車工業を中心に都市化へ向けて大きく変容していきます。都市汚水による公害の発生、農家労働力の流出により農業経営の近代化と用水管理の合理化に迫られ、1973年から明治用水をパイプライン化(または暗渠(あんきょ)化:地下に設けた水路のこと)となり、現在では、一部を残すのみで、ほとんどが明治用水は地下にもぐり、明治用水そのものの姿は見えなくなっています。そして、パイプライン化(暗渠化)された明治用水の水路上部は、自転車道や緑道、せせらぎや親水スポットとして生まれ変わっています。

 上から2番目の画像は、パイプライン化された明治用水の水路上部の現在の姿を写したものです。写真を見て頂きますと、わかりますが、自転車道として整備されており、写真中央に少し見にくいですが、犬の散歩をしている人の姿も見られます。20数年前までは、ここに水の流れが見られたわけです。水の流れは、言わば豊かな水田が広がる農空間と生活空間を結びつけていたような意味合いがあっただけに、水の流れが見えなくなったことは誠に残念ですが、毎夏、必ずといっていいほど起こっていた子供たちの水の事故がなくなり、自転車道として整備された水路上部は通学路としても使われ、交通事故の軽減にもつながっています。

 今となれば、我々が小学校の頃は、水の事故が多かっただけに、夏休み前には必ず明治用水では遊ばないようにと先生から口うるさく言われたことが懐かしく思い出されます。地下にもぐった明治用水ですが、近年、親水スポットとして整備もされてきています。上から3番目の画像は、地下にもぐった明治用水上にせせらぎが設けられたところを写したものです。ここでは、魚つかみのイベントが行われたり、ほたるの舞う里づくりなどの取り組みが行われています。また、安城市の今池小学校では、学校の南側歩道の下を明治用水が流れていることから、校庭にミニ明治用水をつくっています。幅1メートル、長さ25メートル、深さ25センチのミニ明治用水には、コイ、フナ、ドジョウなどが泳ぎ、ホテイアオイが浮かんでいます。

 上から4番目の画像は、明治川神社(安城市東栄町)の境内を写したものです。明治川神社は、社号が示すように、明治用水の開削に努力した人々の霊を祀り鎮めるために、1880年(明治13年)に創建されました。明治川神社と明治用水については、以前に書きましたた視察レポート「安城歴史・文化探訪」でも若干触れていますので、併せてご覧いただけましたらと思います。

 最後に、“日本デンマーク”と呼ばれた農業先進地にちなんで、ITを活用した先進の農業“精密農法”の流れを紹介して締めくくりたいと思います。精密農法とは、遠隔探査、地理情報システムおよび全地球測位システムなどの衛星技術を活用したハイテク農業とも呼ばれ、先進的なIT技術を駆使することで、農場をきめ細かく管理し、生産性と収益性を向上するとともに、環境の保全も図ることを目的とした農法です。

 仕組みとしては、センサーを装備したコンバインで農地をセンシングして、GPS(衛星位置測定システム)を使って、農場を数メートル単位程度の升目状に区分したマップをまず作成します。そして、農場全体からみるとばらつきがある土壌の状態や病害虫・雑草の発生状況などを升目単位でリアルタイムで情報収集し、農薬や肥料の散布量など最適化できるというものです。精密農法は、農薬や肥料の量の削減、収穫量の向上が図れ、環境を配慮し、人件費コストの低減、生産性の向上の面から注目されている農法の一つです。また、食に関しては、コラム「“スローフード”“地産地消”など「食環境」を見直す動きについて考察する」で紹介してありますので、こちらも併せてご覧いただけましたらと思います。

 今回、明治用水に焦点をあてて紹介しましたが、皆様方も機会がありましたら、明治用水の昔の面影や水田を眺めながら、現在、自転車道となっている明治用水の上を風を感じながらサイクリングでもされてはいかがでしょうか。

 また、以前にも一度紹介しましたが、私の住んでいる愛知県安城市では、本年度、市制50周年を迎え、50ものさまざまなイベントが計画されています。50周年事業計画策定にあたっては、市民に参画してもらい計画づくりを行ってきた経緯があります。そのような経緯もあり、今回の50周年事業は、市民参加のイベントが多く、その中でも3つのメイン事業は、安城市民博覧会(2002年10月26日〜27日:健康・スポーツ・環境・交流をテーマにした博覧会)、DanSpoANJO(2002年8月3日〜4日:七夕まつりの中で行われる一大ダンスパフォーマンス)、「安城の絶品」誕生!(通年事業:2002年7月中旬頃から郷土の農産物等を素材にしたアイデア料理を公募し、安城の絶品をつくりあげます)です。第49回安城七夕まつり(2002年8月2日〜4日)や“デンパーク”などと連携を図って、さまざまな50周年イベントが安城市内各所で展開されます。市外の方も大歓迎ですので、機会がありました足を運ばれたり、アイデア料理に公募されましたらと思います。ゆくゆくは、あなたが考えたアイデア料理が“あんじょう丼”なるものとなって安城名物として育っていくかも知れません。

By Nagura

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