日本三景の一つである松島を訪ねて (日本・宮城)

2003年3月16日

 日本三景の一つである宮城県松島(松島町の人口約1万7千人、面積54平方キロメートル)を訪ねて参りました。松島湾には、大小松島260余島の島々が浮かび、長い年月の波浪侵食、風化作用によって四季を通じてそれぞれ異なった景観の自然美を堪能できます。万葉の昔より風光明媚なところとして知られ、俳聖松尾芭蕉も絶賛しています。松島が日本三景と呼ばれるようになったのは、約350年ほど前の寛永20年に、当時の学者・林春斎が「日本国事跡考」に「丹後の天橋立、陸奥の松島、安芸の宮島を日本三景」と書いたのが始まりと言われています。

 松島には、年間400万人近い観光客が訪れます。日本有数の観光地ですが、今、松島では、“日本三景”というブランドにあぐらをかくことなく新たな魅力づくりを進めています。今回の視察レポートでは、松島の新たな魅力づくりを推進している方にご案内頂き、松島界隈を散策してきましたので、その新たな視点を中心に紹介していきます。松島へは、3年ほど前にも一度行きましたが、今回は地域住民からのまちおこしという視点で新たな発見がありました。以前行った時の視察レポートは、仙台と松島を併せて紹介したものですが視察レポート「仙台〜松島界隈を訪ねて」で紹介しております。その他、宮城県の話題として、視察レポート「石巻〜宮城県北東部を訪ねて」視察レポート「阿武隈川流域のまち・丸森を訪ねて」で紹介しておりますので、併せてご覧頂けましたらと思います。ちなみに上から4番目の画像は、松島に行く前に、仙台の繁華街を歩いて写したものです。日曜日の昼時ということもあり、人人人でごった返していました。昨年(2002年)12月に新幹線が青森県八戸まで伸びて、ますます仙台が活気づいているような気がいたします。

 まず、松島で既に認知度が高いところを挙げていきますと、海に浮かぶ松島パークホテル跡地島々の絶景、そして、瑞巌寺、五大堂、観瀾亭、マリンピア松島水族館、オルゴール博物館、みちのく伊達政宗歴史館、藤田喬平ガラス美術館などがあります。一番上の画像は、観瀾亭から海に浮かぶ島々を望んだものですが、せっかくの絶景が残念なことに天候があまりよくなくどんよりと写っております。伊達政宗の菩提寺である瑞巌寺は、慈覚大師によって創建されたと伝えられており、奥州随一の禅寺です。小島に建っている松島のシンボルである五大堂は、807年に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が毘沙門天を祭ったのが始まりで、その後、慈覚大師が自ら彫り出したという五大明王を祭ったことからその名が付いています。観瀾亭は、豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の一棟で、江戸の藩邸に移築したものを二代藩主忠宗が移したと伝えられています。

 上記で挙げたところは、有名であり、多くの方が観光で行かれたり御存知のことと思います。今、松島では、メジャーなスポットである瑞巌寺や五大堂などを点で結ぶ観光から、地域全体を面でとらえた観光への模索が始まっています。歩道整備や古道の掘り起こし、由緒あるホテルの復元などさまざまな観光資源の発掘がすすめられています。

 松島町内では、毎年5月に特別名勝を歩く「日本三景松島ツーデーマーチ」(日本ウォーキング協会など主催、松島町など共催)が当時の設計の家屋開催されます。健康ブームに加え松尾芭蕉ゆかりの地という知名度もあって、昨年は全国から約2千人が参加しています。日本三景松島ツーデーマーチを通して、参加者から松島湾の景観を楽しみにしていたのに、歩くのは山間部が多くてつまらなかったという意見も出てくるなど松島観光の課題も挙がってきました。要因として、湾内を眺望できる道が少ないことと、見晴らしのいい国道45号線などの歩道整備が遅れていることが挙げられます。現在、国道45号線を管理する東北地方整備局仙台工事事務所では、2003年度完成を目指して海側に幅3.5メートルの歩道の整備(国道45号線の浪打浜から双観山入り口の約900メートル)を進めています。

 次に地域住民の視点からの動きを見ていきます。地元紙に紹介されたお二人の言葉を転載します。地元で食品販売業を営む京野さんは、藩制時代に整備された一里塚や石巻街道の活用など町内には埋もれた魅力が多い。もっと目を向けるべきだと熱心に語っています。また、1969年に焼失した「松島パークホテル」の再建を目指す会社経営の大和さんは、広島市の原爆ドームと同じ外国人設計者による大変貴重な建物だった。近世の歴史も大事にしたい」と強調しています。先ほど紹介しました瑞巌寺も独自の取り組みを行っています。瑞巌寺は、岩手県平泉町の中尊寺と毛越寺、山形市の立石寺と連携し、参拝客誘致を図ろうとしています。四寺は開山が慈覚大師で、芭蕉が訪れたという共通点があります。

 今回、松島で、上記の地元紙で紹介されました大和さんにお会いしてお話を伺って参りました。大和さんは、松島パークホテルファン倶楽部代表として、「松島パ仙台市中心市街地商店街ークホテル」の再建を目指しています。伺って参りました“松島パークホテル”について紹介していきます。松島パークホテルは、1913年(大正2年)に海外からの観光客の誘致のために宮城県が建設した西洋式ホテルです。もし、1969年(昭和44年)に焼失していなければ、2003年の今、築後90年を迎えていました。松島パークホテルの特徴は、西洋式ホテルといっても、日本三景松島の景観を損なわないように、そのデザインは、日本風の外観を持つ配慮がなされていました。当時の華やかしい面影を残す写真を見せて頂きましたが、和洋折衷とも言うべき特徴のある建物でした。大きな鳥が両翼を広げ洋上に飛び立つかのような建物であり、一度見たら記憶に残るような名建築と思います。

 上から2番目の画像は、当時、松島パークホテルが建っていた場所を写したものです。松島パークホテルは、松島海岸駅前の絶景が望める松島公園の中心にあり、シンボルでもありました。現在、上から2番目の画像に見られるように、グリーン広場として芝生が広がっています。90年前の当時の松島パークホテルは、大小の食堂、玉突場、バー、読書室、冷暖房、水洗トイレなど最新設備を誇っていました。昭和の天皇皇后両陛下もご宿泊されました。

 また、この松島パークホテルの設計者は、“広島原爆ドーム”の設計者として知られるチェコ出身の建築家Jan Letzel(ヤン・レツル)氏です。松島パークホテルは、“広島原爆ドーム”より以前に建てられており、レツル氏が広島原爆ドームを設計するきっかけになっています。当時の宮城県知事の寺田氏が、松島パークホテルの建物をたいへん気に入り、次の任地の広島県でヤン・レツル氏を呼び寄せることになったようです。上から3番目の画像は、松島パークホテルの施工と同時期に建てられた現存する大正時代の民家建築を写したものです。当時は、松島パークホテル関係者が利用しており、その後、観瀾亭付属の旧陳列所として使われ、現在は使われてなく、この家屋の利活用も望みたいところです。カフェなど散策の折に、ちょっとした立ち寄れる場所として利用するのもいいですし、松島パークホテルの再建を広くピーアールする場として活用していくのもいいかも知れません。

 今回、大和氏に熱く語って頂きました。大和氏は、「ふたたびこの建物(松島パークホテル)を完全な形で復活させることができれば、松島町だけでなく宮城県にとっても非常に大きな観光資源になりうる」と力強くおっしゃっていました。先ほど、90年前の松島パークホテルの設備を紹介しましたが、今でも十分通用するような建物を90年も前に建てたことに驚かされます。大和氏の復活への取り組みは、平成14年から始められたばかりですが、ふたたび松島パークホテルが復活して、その復活したホテルの部屋から松島の絶景が見られる日が来ることを楽しみにしております。これから、さまざまなネットワークを通して、地域一丸となって行政等と連携を図り、一つ一つの課題をクリアしながら歩まれることと思いますが、大和様のますますのご活躍をお祈り申し上げます。

 今回、松島を訪ねるにあたりまして、当方のメールマガジン「地域・まちづくり情報&コラム」をお読みいただいております仙台にお住まいの後藤様と阿部様、そして阿部様にご紹介頂きました松島パークホテルファン倶楽部代表の大和様にご説明いただくとともに、ご案内いただきました。最後に、紙面(ホームページ・メールマガジン上)を借りまして、お礼申し上げます。ありがとうございました。メールマガジンの読者の方を通して、またそこから新たなネットワークが広がっていったことをたいへんうれしく思っております。感謝申し上げます。

By Nagura

リターンイメージリターンイメージリターンイメージリターンイメージリターンイメージ