阿武隈川流域のまち・丸森を訪ねて (日本・宮城)

視察日:1999年10月30日

 宮城県の最南端に位置する阿武隈川流域のまち・丸森町(人口:約1万8千人)を訪ねて参りました。丸森町には、遺跡斎理屋敷や史跡が数多くあり、縄文の昔から人々の暮らしが面々と続いてきていることが伺えます。そして、人々の暮らしを助け、育ててきたのが阿武隈川と言えます。

 丸森町は、仙台市から南に約40キロメートルほど行ったところに位置します。仙台からですと、阿武隈急行で50分ほどで行くことができます。気候的にも、南に位置していることもあって、宮城県内で、最も温暖な地域の一つで、雪が降っても数日から1週間程度で解けて、根雪になることはないようです。

 丸森の時代背景を見ていきますと、戦国の世、伊達政宗の曾祖父である伊達稙宗が住んでいたところでもあります。隠居地であった丸森城付近に丸い森があり、これが「丸森」の由来だとも言われています。また、戦国時代、丸森町は、伊達家と相馬家の戦いの場であり、政宗が初陣をした年の戦いは相馬との戦いだけであり、政宗は丸森で初陣をしたと考えられています。
 江戸時代になると、阿武隈川を利用した舟運が盛んになり、丸森もその基地として大切な役割を果たし、米をはじめとする物資が常に行き来していました。明治に入ると、養蚕が盛んに行われ、製糸工場もでき、時代の先端産業の一翼を担っていました。そのため、養蚕に影響があるとして、東北本線の通過に反対したことから汽車や車の高速交通体系から外れた形となっています。

 今回、丸森町を訪ねまして、“癒し空間”というか何かホッとする雰囲気が感じられました。ある意味、東北本線という幹線からはずれたことが、良い影響を与えているように感じました。当時の事情はいろいろあったにせよ、その時の決断が正しかったか、間違っていたかは、これからの取り組み如何にかかっており、不動尊公園時代が決めていくことのように思います。
 今までに、私が訪ねた中で、“癒し空間”と感じたところに「近江商人のまち・近江八幡市」があります。ここも、丸森町の場合と似ており、1889年に東海道本線(当時:湖東鉄道)を古い町並みが残る城下町から2キロメートルほど郊外に駅を持っていったという背景があります。結果的に、駅周辺が、商業、官庁街などの中心街になっていく一方、近江八幡の城下町、古い町並み、八幡堀が現在まで失われずに当時の面影をとどめた形となり、東海道本線開通から100年以上経った今になって、良さが見直され、住民の協力もあり、八幡堀などの整備が進められています。

 今回、丸森町を訪ねて見まして、本線、幹線道路から外れているという地理的な側面を、逆にうまく“売り”のポイントとして進めてように感じました。阿武隈川を利用した舟運で商売を成した人が多い土地柄だけに、町の取り組みもいい意味で“商売魂”というか“商売っ気”が感じられます。商売という点から見ていきますと、江戸時代から昭和初期に活躍した豪商・斎藤理助家の蔵と屋敷を一般公開している蔵の郷土館「斎理屋敷」があります。一番上の画像は、斎理屋敷の中庭から居宅と蔵を写したものです。
 斎藤家の屋敷は、代々の当主が“理助”を名乗ったことから「斎理屋敷」と呼ばれるようになり、昭和62年(1987年)1月に7代目のご主人が亡くなられてからは、斎理の直接の血筋は絶えています。斎理屋敷は、7代目が亡くなられる前年に、中身ごとそっくり町に寄贈され、現在、蔵の郷土館「斎理屋敷」として一般公開されています。敷地内には、一番上の画像の居宅はじエコー・ファームめ、「店蔵」「嫁(よめご)の蔵」「業(なりわい)の蔵」「住の蔵」「時の蔵」などの10ほどの蔵、新館などがあり、非常に充実しています。数々の展示品から当時の華やかな暮らしぶりが伺えます。特に、平成10年に新しく仲間入りした新館では、西洋からの伝来品や昭和初期の町並みを再現した立体模型が展示されています。この立体模型は、実際にそこに住んでいた家族構成や一つ一つの人形の顔まで当時生きていた実在人物に似せて作っているとのことです。顔の表情あたりまで、しっかりと見ると、また変わった世界が見えてくるかも知れません。その他、「丸森の風土と暮らし」をマルチビジョンを使って紹介したり、生活工芸を体験学習できる場もあり、当時の暮らし、時代背景をより身近に感じることができます。「斎理屋敷」には、土曜日の昼前に行きましたが、外国の方や女性グループの方が数名見えていらっしゃいました。しかし、これだけ充実している点から考えますと、もっと多くの観光客が訪れてもと思います。お近くに行かれた方は、是非、足を運ばれては思います。

 また、この日、町中にあまり人がいなかったのは、土曜日で天気もよく、東北地方では恒例の“いも煮会”で河原に出かけていらっしゃる方が多かったのかも知れません。今回、私は、“いも煮会”という言葉を初めて聞いたのですが、収穫祭の秋に、東北地方では、河原で、“さといも”をメインに、あとは地方によって違うそうですが、いろいろな具を入れて煮込んだものを食べるようです。東北地方の方は、違うとおっしゃるかも知れませんが、イメージ的には、肉じゃがの“じゃがいも”を“さといも”に変えて、いろいろと具を入れて煮込んだものといったところでしょうか。上から2番目の画像は、不動尊公園キャンプ場の木々が少し色づき始めた河原を写したものです。ここでも、“いも煮会”をやっていました。遠くから見ている限りは、バーベキューをやっているのか“いも煮会”をやっているのか区別はつきませんが・・・。私が仙台から帰途に着いた翌日(10月31日)に、NHKのBS放送の「お〜い日本」で10時間にわたり山形県を紹介していた中で、“いも煮会”の模様を生中継していましたので、ご覧になられた方もいらっしゃることと思います。

 上から3番目の画像は、来春オープンする建設中のエコーファームを写したものです。エコーファームは、「滞在型市民農園」で、日本初の試みで行われた長野県の四賀村クラインガルデンをイメージされるとわかりやすいと思います。“クラインガルデン”とはドイツ語で、小さな庭、美しい庭という意味を持っており、田舎と街の交流を取り持つ施設と言った感じです。四賀村の場合、都市に住む時代を先取りした感性をもつ人々、心の豊かさとは何かを感じている人々との交流の場を四賀村の中につくることによって、村を元気にしていこうという構想から始まっています。四賀村クラインガルデンの約束は、基本的に「1カ月に3泊6日以上の利用」「完全有機無農薬栽培に限る」「生活必需品はすべて村で買う」「イベント、文化活動に参加する」の4つで、あとはクラインガルデンによって縁組みされた田舎の親戚にあいさつすることを加えるくらいです。日常の農地の管理は、縁組みされた田舎の親戚である地元の方が管理して、都会から月に3泊6日以上来られる時に、村の方と交流したり庭いじり、自然を堪能するというものです。

 丸森町は、今現在においても、他の地域から移り住んできて、農業、花作り、みそ作り、天然藍染などに取り組む人が多く、エコーファームのオープンにより、また新しい“風”がさらに入ってきて、より魅力的な個性ある“まち”になっていくものと思われます。阿武隈川を利用した“商い”で代々続いてきた風土的なものが、今でも脈々と生き続けており、その雰囲気が他の地域から多くの人を呼び込むのかも知れません。丸森町ならではの雰囲気、オープンな空気というものを今後も失わないでいって欲しいものです。

 最後に、丸森町から仙台空港に向かう途中で、季節料理の鮭の身を炊き込んだご飯に、いくらを乗せた“はらこめし”を初めて食べましたが、なかなか美味でした。

 今回、宮城県(丸森町界隈)を訪ねるにあたりまして、当方のメールマガジン「地域・まちづくり情報&コラム」をお読みいただいております宮城県庁の大森さんと茂木さんにご案内いただきました。最後に、紙面(ホームページ・メールマガジン上)を借りまして、お礼申し上げます。ありがとうございました。

By Nagura

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