再開発が進む高松丸亀町商店街を訪ねて(日本・香川)

レポート記載日:2009年2月2日(視察日:2008年11月21日)

 香川県高松市(人口426,993人、180,122世帯:2009年1月1日現在、面積375.09平方キロメートル)の高松丸亀町商店街ドームを訪ねてきました。高松市は、香川県の県庁所在地で四国の玄関口として発展してきた都市です。

 ちなみに香川県は、全国一小さな県であり、その中心部に位置するのが高松市です。最近、まちづくりの視点で、コンパクトシティという言葉がもてはやされていますが、高松市は古い時代から都市のさまざまな機能が中心部に集積する「コンパクトシティ」と発展してきた街です。

 しかし、1988年の瀬戸大橋(本州四国連絡橋)の完成により、大きく流れが変わり始めました。瀬戸大橋は、瀬戸内海をまたいで、本州の岡山県倉敷市と四国の香川県坂出市を結ぶ本州四国連絡橋のひとつです。橋は2階建てとなっており、上部に4車線の瀬戸中央自動車道が走り、下部にJR本四国備讃線の電車が走っています。橋梁部は9,368メートルで、高架部を含めると13.1キロメートルの延長を誇っています。

 高松市界隈は、瀬戸大橋が完成する前までは、船による物流に依存してきており、本州各地で見られるような大型店の立地も少なく、長い間、無風状態でした。しかし、瀬戸大橋の開通により、物流体制を整えた大手流チェーンによる郊外大型立地が加速して、中心市街地の商店街が衰退に向かっていきました。

 さらに、拍車をかけたのが、旧高松市に隣接する都市が都市計画区域内の地域を市街化区域と市街化調整区域を分ける線引きをしてなく、旧高松市の市街化調整区域を超えて郊外化が進んでいきました。また、このような状況だったため、近隣のまちとの合併後の高松市では、平成16年に全国で始めて線引きが廃止される事態となりました。それが、さらに拍車をかけて、大型店の立地が進みました。

 このような状況もあり、高松市では、平成7年から12年の5年間で売り場面積が39万平方メートルから62万平方メートルと急増しました。その後テナント上部から、既存のショッピングセンターのスクラップ&ビルドや延べ床面積10万平方メートル超が2店立地するなど、非常に厳しい流通戦争にさらされていきます。

 激しい流通戦争の中、高松丸亀町商店街は、全国でも例を見ない、商店街自らが再開発に取り組んできています。現在、まだひとつの街区が完成しただけで、再開発途中ですが、視察団がひっきりなしに訪れています。今回、私は、愛知県内の商工会議所、商工会の経営指導員の方たちと一緒に視察に行ってきました。現地では、高松丸亀町商店街振興組合の理事長の古川氏と専務理事の熊氏からお話をいただくとともに、メインの完成したA街区のドーム界隈をご案内いただきました。また、古川氏と熊氏は、商店街の組合員であるとともに、再開発の推進役となっている高松丸亀町まちづくり株式会社のそれぞれ専務取締役と取締役も兼ねています。

 高松丸亀町商店街を取り巻く状況は先ほど述べましたので、次に、高松丸亀町商店街の成り立ち、そして再開発にいたったきっかけ、経緯を紐解いていきます。高松丸亀町商店街は、高松築城に起源を持つ約400年の歴史を持つ商店街であり、長く高松市を代表する商店街として栄えてきました。高松市の行政人口は冒頭で426,993人と述べましたが、商圏人口は約55万人です。中心市街地には2つのデパートと約800の専門店で構成された8つの商店街があり、高松丸亀町商店街は位置的にその中心にある高松のメインストリートです。

 再開発のきっかけは、1983年(昭和58年)に、鹿庭前理事長の「100年後を目指した街づくり」が必要との意を受けて、青年会を地下駐輪場中心に街づくりの研究が始まりました。当時は、商店街の通行量が休日3.5万人、平日2万人と、まだまだ全盛期とも言える時代でしたが、青年部を中心に大学教授を含めた研究委員会や市民アンケート等、1年間にわたって検討され答申が出されました。

 答申の内容は、「物販に特化しすぎた丸亀町が今後100年間、市民の支持を受け続けることは絶対にできない。物販以外に導入すべき機能として、市民広場、都市公園、イベントホール、駐輪場、駐車場、休憩施設、公衆トイレ、レストラン等の飲食機能、生鮮市場または食品スーパー、ホームセンター等の生活雑貨店、マンション等の居住施設、電車は無理なのでバスターミナル等である。モノを買うだけの街から、時間消費型の街に作り変えることが丸亀町商店街が今後存続するための必要条件である」というものです。

 そして、転機となったのが、ちょうど瀬戸大橋が開通した1988年に開催された丸亀町商店街400年祭です。時はバブルの絶頂期で、108日間にも及ぶロングイベントの400年祭の大盛況の最中、この賑わいがこれから100年も続き、次の500年祭を迎えることができるのだろうか?と商店主の方々が思ったことです。それ以前に、アーケードの建て替え、路面のカラー舗装、個店のリニューアルなど行ってきていますが、商店街の通行量には減少の兆しが見え始め、回遊しながらゆっくり時間を過ごせる快適な空間とはなっていない現状に危機感を持ち始めていました。

 上記の流れを受けて、1990年度に再開発事業の調査・研究開始が組合総会で承認されて、具体的に再開発事業が動き始めました。1993年度にはA街区の市街地再開発事業基本計画が策定され、同時に準備組合が設立されました。その後、再開発及びまちづくりの手法、スキームなどに関する多くの調査検討を同時並行的に亀井戸市場行いつつ、地権者の合意形成、関係機関相互の調整を行い、1998年度に高松丸亀町まちづくり会社(第3セクター)が設立されました。ちなみに、丸亀町再開発事業は、全長470メートルの商店街をAからGの7つの「街区」にゾーニングしています。そして、それぞれの街区ごとに、コンセプトを定め、それぞれのエリアに合った市場的なものを設けたり、医療モールを設けたり、カジュアル的、日常的など特色を出した計画がされています。

 そして、きっかけから20年ほどたった現在、日本最大の商店街ドームがあるA街区が2007年に完成し、2008年からB街区、C街区の一期工事が始まっています。ちょうど視察した時は、B街区、C街区が幕が張られて工事の最中でした。ここまで、ざっと紹介してきた内容でもお分かりいただけると思いますが、商店街、商店主自らが自分たちのまち、自分たちの商店街を何とかしようと立ち上がって、商店街が主導となって再開発を進めてきた商店主たちの熱い思いが伝わったのではないでしょうか。20年あまりかけて、商店街が主導となって再開発を進めたきた事例は全国的にも珍しいと思います。

 それでは、次に現地でお聞きしてきました今回の再開発の丸亀町商店街ならではの身の丈にあった特徴的な取り組みを紹介していきます。再開発に向けては、「お客様にとって必要のない店は必ず消滅する。必要のない商店街も必ず消滅する」という思いでやってきたようです。郊外のショッピングセンターでは、当たり前にやっており商店街でなかなかやれないのが、テナントミックス(店舗構成)や業種変更などです。

 丸亀町商店街では、それをお客さんの視点で大胆にやっています。商店街というと、高級志向の洋品店の隣に魚屋があさぬきうどん屋ったりといろいろな業種がばらばらに雑多にあるものですが、ここでは、再開発によって電器屋さんが移動するなどして、衣料品などの関係業種を隣合うように集約するなどしています。上から2番目の画像は、再開発が終わったA街区を写したものです。このA街区は、テナント配置を大胆に変えています。中央よりの一等地にあった電器屋さんは、一番端に移って、衣料関係を隣り合わせになるようにしています。ちなみに画像の奥に見えるアーケードのところがB街区で、今、再開発の工事中です。

 また、驚いたのは、靴屋さんが、この商店街に讃岐うどんのお店がないということで、靴屋さんからうどん屋さんに業種変更もしています。上から5番目の画像のうどん屋さんが靴屋さんから業種変更した親父さんがやっています。昼に食べてきましたが、腰があってたいへんうまかったです。さすが、本場の讃岐うどんでした。

 丸亀町商店街の再開発における大きな特徴として「所有権と使用権の分離」と「オーナー変動地代家賃制」が挙げられます。「所有権と使用権の分離」は、土地の所有を変えずにビルの床をまちづくり会社が取得・運営する手法で、土地費を初期投資として事業費に顕在化させない仕組みとなっています。土地をもっている商店主の地権者は、自分の土地を所有し続けることができ、まちづくり会社と定期借地権契約を結び、土地を貸し出します。そして、建物をまちづくり会社が所有し運営します。

 まちづくり会社は家賃収入から建物の管理コストなど必要経費を除いた分を地権者に分配します。簡単に言えば、地権者はこの事業に土地を投資し、地代という形で配当を得ることになります。こうすることで、土地の利用と所有が分離され、土地はまちづくりに望ましい形で合理的に利用されていくことになります。視察の際に説明の中で、地権者ひとりひとりに合意を得ていくのが最初のハードルだったようです。丸亀町商店街でこれができたのは、地元の商店主が、熱い思いをもって仲間である商店主に地道に説得していった賜物と思います。これを部外者でやったら果たしてうまくいっただろうか。同じ仲間だからこそできたことではないかと思います。

 もう一つの特徴的な取り組みの「オーナー変動地代家賃制」は、名前の通りオーナーである地権者が受け取る家賃の額が変動するということです。地権者(オーナー)が「土地を投資」するということは「リスク」と「リターン」を伴うということです。地権者はテナントの売上から家賃収入(リターン)が期待できますが、その額は一定ではなく、テナントの売上によって増減するリスクを含んでいます。これが「オーナー変動地代家賃制」です。視察時の説明の際に強調されていたのが、この「オーナー変動地代家賃制」を導入することで、地権者がテナントと協力して売上増に努めるようになるという点です。まさに、まちづくり会社、テナント、そして地権者の3者が協力してまちづくりをしていく仕組みが出来ています。この強力なタッグがさらに街全体の魅力を高めていると言えます。

 最後に、商店街に人を呼び込む仕掛けを紹介していきます。まず、居住空間を商店街の中に取り込んでいます。AからGの7つの「街区」のうち、G街区を除いて、すべて9階建てで、1階から3階までが店舗、4階が会議室などのコミュニティスペース、5階以上が住宅という3層構造でビルを建てるようルールを決めています。

 そして、なんと言っても目玉なのが一番上の画像のガラスのドームです。ちょうど視察に行った時は、クリスマスオープニングイベントが夕方5時頃から行われ、ジャズバンドの演奏を聞いてきました。画像上に見える円柱の筒は、行灯に見立てたイルミネーションで、夜はライトアップされて、さながらシャンデリアのようでした。視察時の説明の中で印象に残った言葉として「自分たちはステージを用意するだけで、そのステージを使うのは、みなさんです。まちはステージ」が挙げられます。ドームの下は、使いたい人でひっきりなしという状態のようです。

 上から3番目の画像は、全自動機械式駐輪場を写したものです。この自転車の立体駐輪場は全国でもまだまだ珍しいようです。ちなみに、2007年に出来た名古屋の新しいランドマークのミッドランドスクエアで見たことがありますが、商店街の中では初めて見ました。このハイテク駐輪場は、1日100円とリーズナブルで、1時間以内なら無料です。(2008年11月現在)また、上から4番目の画像は、G街区にある亀井戸水神市場の店内を写したものです。農家の生産者のつくった野菜や加工品などが販売されており、商店街と生産者の連携の商農連携が実践されています。たいへん人気があるようです。

 皆さんも機会がありましたら、商店街・商店主自らが自分たちのまちの今後を思って、再開発して作り上げている丸亀町商店街を訪ねてみられてはいかがでしょうか。きっと、商店街の新たな形の方向性を垣間見ることができると思います。

By Nagura

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