中山道の“馬籠宿”を訪ねて (日本・長野)

視察日:2002年5月1日

 石畳の坂と古い町並みで情緒あふれる中山道の木曽11宿の最南端に位置する“馬籠(まごめ)宿”を訪ねて参りました。馬籠宿山間を延びる中山道でも最も険しい道のりと言われた木曽路11宿を南から北に挙げてみますと「馬籠宿」「妻籠(つまご)宿」「三留野(みどの)宿」「野尻宿」「須原宿」「上松(あげまつ)宿」「福島宿」「宮ノ越宿」「薮原宿」「奈良井(ならい)宿」「贄川(にえかわ)宿」の順となっています。妻籠宿は、既に当視察レポート上「中山道・妻籠宿」で紹介しておりますので、併せてご覧いただけましたらと思います。

 中山道は、江戸(東京)から京(京都)までの全行程135里34町余り(約540キロメートル)あり、距離で比べれば東海道より9里28町余り(約40キロメートル)長いです。当時(江戸時代)中山道は、東海道の川止めを避けて利用する旅人も多かったようです。東海道では、当時は川に橋がかかってなく大井川、天龍川など大雨等で川の水量が増せば、何日も水がひくまで足止めとなってしまうことを考えれば、多少距離が長く、道が険しくても行程が読める中山道を選んだのもわかるような気がします。参勤交代の大名、東下する皇族などにも利用されていたようです。

 木曽11宿の最南端で出入口にあたる馬籠宿は、長野県山口村にあります。今、注目を浴びている村でテレビのニュースや新聞紙上に登場する機会が多いので山口村と言う名前を御存じの方もいらっしゃることと思います。木曽の最南端ということからもお分かりと思いますが、隣は岐阜県中津川市と面しています。今、この馬籠宿長野県山口村と岐阜県中津川市が県の枠を越えて合併へ向けての協議が行われていることが注目を浴びています。

 越県合併は、これまでの実例はわずか6件のみで、ここ最近といっても1959年が最後で、それ以来半世紀近くも途絶えています。それだけ、越県合併は困難を極めるとも言えます。山口村は、1958年に隣の神坂村を吸収合併していますが、その際、長野県を揺るがす大騒動となりました。その時、神坂村は隣の岐阜県中津川市と合併を希望していました。その結果、国は神坂村と中津川市の合併を認める方針を示しましたが、長野県議会は徹底抗戦を続けました。最終的には、困り果てた国が妥協案を示し、神坂村の4地区のうち、3地区が山口村に1地区が中津川市に編入されました。そのような経緯があるだけに、今回の浮上した山口村と中津川市の越県合併は注目を集めているとも言えます。市町村合併の動きについては、コラム「各地で協議が活発になっている市町村合併について考察する」で紹介してありますので、併せてご覧下さいませ。

 一番上から3つ目までの画像が、約600メートルにわたる馬籠宿の石畳の坂道を写したものです。軒の低い格子造の家並みが続き、当時の宿場町の風情が画像から伝わってくるのではないでしょうか。上から3番目の画像は、馬籠宿の端にあたり、このまま歩いていきますと妻籠宿に辿り着きます。妻籠の視察レポート上で書きましたが、高校の遠足か何かで私は馬籠から妻籠の間を歩いたことがあります。山の中を歩き、途中に滝などあり、森林力にはもってこいです馬籠木曽路妻籠へので、2時間余かかりますが、当時の旅人気分で歩かれるのもいいのではないかと思います。行った日は、あいにくの小雨でしたが、それでも妻籠に向けて歩かれる若い人たちが見られました。また、見どころとして、馬籠宿のちょうど真ん中あたりに、藤村(とうそん)記念館があります。馬籠は、文豪・島崎藤村(本名:島崎春樹)の生誕の地であり、生家の本陣跡に藤村記念館が建てられました。

 島崎藤村は、明治5年(1872年)中山道馬籠宿の旧本陣で生まれ、まず詩人として出発し、徐々に散文に移行し、自費出版の「破戒」をきっかけに、筆一本の小説家に転身しました。その後、「春」「家」などを出版し、日本の自然主義文学を代表する作家となっていきます。昭和に入り、父をモデルとした明治維新前後を描いた長編小説「夜明け前」で歴史小説として高い評価を得ます。最後は「東方の門」執筆中に倒れ、71歳で亡くなっています。藤村記念館には、藤村の年譜や蔵書、原稿、挿し絵、原画など5000余点が展示されています。

 一つ藤村の文を紹介します。随想集「春を待ちつつ」に所収してあり文学碑にも刻まれている「太陽の言葉」というもので、文は「誰でもが太陽である得(う)る。わたし達の急務はたびたび眼前の太陽を追いかけることではなくて、自分等の内に高く太陽をかかげることだ」というものです。

 今回の視察レポートでは、馬籠宿を紹介しておりますが、“木曽路はすべて山の中である”と謳われる木曽路を訪ねるにあたっては、馬籠、妻籠を同時に行かれたらと思います。馬籠、妻籠の間は、先ほど示しましたように道の駅・賎母歩きますと2時間近くかかりますが、車なら15分ほどです。そして、さらに、古い町並み、藤村の文学の世界に堪能した後、芸術の世界も堪能するコースはいかがでしょうか。今回、私はこのコースで回ってきましたが、円を描くような行程ですので、中津川を起点にしてまた中津川に戻ってきます。

 最後に、おまけの芸術の世界を紹介して終わりにしたいと思います。それは、国道19号線沿いの道の駅「賎母(しずも)」内にある“東山魁夷・心の旅路館”です。道の駅は、いわゆる高速道路で言うサービスエリアのようなもので、現在全国各地の主要道路沿いにありますが、土産物、食事、観光案内、道路情報などさまざまな施設が入っています。ここ山口村にある道の駅「賎母」は、上から4番目の画像を見ていただきますと分かりますが、建物の馬籠宿を思わせる外観となっています。

 道の駅に隣接して建てられた“東山魁夷・心の旅路館”は、現在日本画壇を代表する画家・東山魁夷(1908年〜1999年:享年90歳)が、山口村に寄贈した版画作品の常設展示館です。「残照」「花明かり」「道」など代表的な作品を常時25〜30点ほど展示する小さな美術館ですが、わざわざ遠方から足を運ぶ美術ファンも多いようです。東山魁夷は横浜生まれですが、山口村とのつながりは、東山魁夷が美術学校時代に御嶽山に登った旅の途中で、山口村の賎母の山林で大夕立ちに遇い、村はずれの農家に駆け込んで一夜の宿を求めました。そこで、思いがけないほどの温かいもてなしを受けました。この旅で、それまで知らなかった木曽の人達の素朴な生活と山嶽をめぐる雄大な自然の心を打たれ、やがて風景画家への道を歩む決意をしています。馬籠の次いでに、旅する画家・東山魁夷の世界も堪能されてはいかがでしょうか。今回、東山魁夷の版画の世界を見てきましたが、次回のコラムでは、銅版画家・山本容子の作品世界を考察する予定です。お楽しみに!!

By Nagura

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