京都の定番の観光地の
清水寺&金閣寺をあらためて訪ねて
(日本・京都)

視察日:2011年10月24日

 これまでに何回となくプライベートや仕事で京都には行っていますが、今回は、のんびりと、そしてじっくりと“大人の修学旅清水寺の舞台行”のような感じで、京都らしい優雅なひとときを過ごしてきました。日頃は、仕事に終われて慌ただしい日々を過ごしているだけに、本当にリフレッシュになりました。

 今回の京都観光は、タクシーを貸し切ってドライバーさんがきめ細かく案内してくれる観光タクシーを利用しました。観光タクシーを初めて利用しましたが、いいドライバーさんに恵まれ、京都の観光知識も豊富で人柄も良く、いろいろとうんちくを語っていただき、学びながら、楽しみながら巡ることができました。

 今回は、定番中の定番の修学旅行では必ずコースに入るとも言える「清水寺(きよみずでら)」と「金閣寺」を訪ねてきました。一日かけて2カ所というあくせくしない贅沢なコース設定で、じっくりとドライバーさんに隅々までご案内頂きました。また、昼食も京都ということで、湯豆腐づくしの料理を綺麗な庭を眺めながら2時間ほどかけて、会話を楽しみながら贅沢な時間を過ごしました。京都で湯豆腐はこれまでも何回となく食べたことがありますが、今回、豆乳の湯豆腐を初めて食べました。後ほど、湯豆腐づくしの料理を少し紹介したいと思いますが、豆乳の湯豆腐はなかなか美味でした。

 それでは、順番に観光タクシーのドライバーさんのうんちくも含めて紹介していきたいと思います。一番上の画像は、清水寺の本堂の前に広がる「清水の舞台」を写したものです。多くの人で賑わっている様子からも清水の舞台の広さが伺えると思います。また、画像からも伺えますが、ここからは舞台の右手側に京都タワーはじめ京都市内を一望することができます。また、舞台の前方には、山々の木々があり、春の桜、新緑、秋の紅葉など四季折々の美しさを堪能することができます。

 昔から思いきって決心することを「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・」といいますが、その語源となったのがこの場所です。清水の清水寺の音羽の滝舞台は、錦雲渓(きんうんけい)の急な崖に、最長約12メートルの巨大なケヤキの柱を並べ、「懸造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築です。ケヤキの耐用年数は800年から1000年もあると言われており、そのためお寺や神社の建築する際の柱として不可欠な用材で、清水の舞台では、78本のケヤキの柱で支えられています。

 ちなみに、「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・」という由来は、江戸時代に庶民に広まった民間信仰にあるそうです。清水寺に祀られる観音様に自らの命を預けて「清水の舞台から飛び降り」、もし助かれば、願いごとが叶うというものだそうです。清水寺の古文書調査では、江戸時代(1694年から1864年の148年分の記録)に234件の飛び降りがあったという記録が残っています。

 本堂から張り出した「舞台」は、ちょうど4階建てのビルの高さにあたり、先ほど述べたように京都市街の眺望が見事で、舞台の面積は約190平方メートルあり、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた「桧(ひのき)舞台」です。この舞台はもともと、御本尊の観音さまに芸能を奉納する場所で、平安時代から雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲など、さまざまな芸能が奉納されてきています。現在でも重要な法会には、舞台奉納が行われます。上から3番目の画像は、下から清水の舞台の方向を見たものですが、かなり高いところにあるのがご覧いただけると思います。

 清水の舞台があまりに有名なので先になってしまいましたが、清水寺は、奈良末期の778年に僧延鎮が開山し、平安建都まもない延暦17年(798年)に坂上田村麻呂が仏殿を建立したと伝えられています。現在の建物の多くは、寛永8年から10年(1631年から1633年)に徳川家光の寄進によって再建されたものだそうです。

 上から2番目の画像は、「音羽の滝」を写したものです。音羽の滝は、清水の舞台とともに、観光客が絶えることのないと清水寺の舞台を下からころで、画像からも多くの人が並んでいる様子がご覧いただけると思います。清水寺という寺名は、音羽山中より今もなお途切れることなくこんこんと湧き、音羽の滝に流れる霊泉に由来しています。1000年以上湧き続けている音羽の滝は、古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、日本十大名水の筆頭に挙げられるほどの有名な水だそうです。古くは弁慶や義経も飲んだとされています。

 また、マイナーというか今回初めてタクシーのドライバーさんからの説明でみたところとして、本堂の窓の下に、深い筋状の傷が横にずーと続いているところがあります。この傷は「弁慶の爪痕」と呼ばれており、昔、お百度やお千度詣りをする際についた、数取の串やしきみの擦り傷だそうです。夜中に手探りでお参りをした数え切れない人々の信仰の証だそうです。

 あと、清水寺と言えば、皆さんもご存知の「その年の世相を表す漢字一字」の「今年の漢字」を発表する場所として有名です。歴史はそれほど古くなく1995年からです。ちなみに1995年の漢字一字は「震」で、阪神・淡路大震災やオウム真理教事件、金融機関の崩壊などに“震えた”年でした。そして、直近の2011年の漢字一字は、まだ、皆さんの記憶に新しいと思いますが「絆」です。東日本大震災で未曾有の被害や他にも台風などの災害が発生した年で、大規模な災害の経験から家族や仲など身近な人々との絆を感じる年でした。また、サッカー女子ワールドカップで優勝したなでしこジャパンの絆に日本中が感動した年でした。

 清水寺の最新情報として、2012年1月に本堂下の地中から焼け土の層が3つ見つかったと京都府埋蔵文化財調査研究センターが発表しました。現在の本堂は江戸初期の1629年に起きた火災の4年後に立て直されたとされています。本堂はそれ以前にも、1091年から「応仁の乱」のあった1469年ま金閣寺が映る池面でに、僧兵の乱入や戦火などで5回全焼しており、その度に盛り土で整地をして再建されてきたと言われています。今回、江戸期の火災とともに、室町期の応仁の乱の戦火、南北朝期の火災(1349年)の3回の痕跡とみられる層が見つかりました。それ以前の火災の跡は、整地の際に削られるなどして残っていないと見られています。

 次に金閣寺を紹介していきます。金閣寺も清水寺と同様に、多くの観光客が訪れるところで、説明するまでもなく、ご存知の方が多いことと思います。上から4番目の画像は、金閣舎利殿とともに、金閣舎利殿の前にある鏡湖池(きょうこち)を中心とした池泉回遊式庭園を写したものです。画像からも伺えますが、金閣舎利殿は眩しいくらい金色に輝いており、絢爛豪華という言葉がぴったりです。久しぶりに金閣寺に行きましたが、以前見た時のイメージはもう少しくすんだ感じをもっていましたが、ここまで金箔が鮮やかなのには驚きました。ちなみに、現在の金閣舎利殿は、昭和62年に金箔が全面張り替えされ、さらに平成15年には屋根の葺き替えが行われたそうです。

 また、上から4番目の画像では、鏡湖池に映る見事な「逆さ金閣」もご覧いただけると思います。少し金閣寺の成り立ちを紐解いていきます。金閣寺と呼ばれていますが、正式には鹿苑寺(ろくおんじ)といいます。古くは鎌倉時代に藤原一族の藤原公経(西園寺公経(さいおんじきんつね))がこの地に西園寺を建立しました。そして、鎌倉幕府滅亡後、荒れ果てた西園寺を足利義満が譲り受け、「北山殿(北山第)」と呼ばれる大規模な邸宅を造営しました。邸宅といいながら御所に匹敵する大規模なもので、義満はここで政治の実権を握りました。

 そして、足利義満の死後、遺言により北山山荘は舎利殿(金閣)を残して解体され禅寺となりました。禅寺の名前は、義満の法金閣寺の金箔間近で名鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名付けられました。金閣寺をみると、子どもの頃にみたアニメの「一休さん」が思いだれます。アニメの中で、一休さんがよく将軍様に呼ばれて金閣寺を訪ねていく場面が出てきますが、この将軍様が室町幕府の3代将軍の足利義満です。

 金閣寺は、以前は、足利義満の邸宅だけあって、上から4番目の画像に見られるように、見事な庭園が広がっています。金閣寺(鹿苑寺)の境内は約4万坪あり、そのうちの半分以上を鏡湖池をはじめとする庭園が占めています。この金閣寺の西にある衣笠山を借景とした庭園は、室町時代の代表的な池泉回遊式庭園で、国の特別史跡、特別名勝にも指定されています。

 上から4番目の画像からも少し伺えますが、この池泉回遊式庭園の鏡湖池には、池の中に葦原島、淡路島、鶴島、亀島など多数大小の島が設けられています。また、明の洞庭湖から取り寄せた九山八海石や有力大名が献納した細川石、畠山石、赤松石などといった各地の名石が巧みに配置されています。

 また、金閣寺と言えば、2011年11月に国賓として来日されたブータンのワンチュク国王とジェツン・ペマ王妃が訪れています。雨の中、金閣寺を背景に、案内された住職を中央に国王と王妃が住職が濡れないように和傘をさりげなく両側から住職の方に、さしかけている記念撮影された様子が記憶に残っているのではないでしょうか。境内の名園を案内された国王は「ベリー・ベリー・ビューティフル」と感嘆されたそうです。また、「どれくらい金箔を貼るのですか」と質問され、住職が20万枚と答えると「維持するのが大変でしょう」と驚いたということです。さらに、国王は金閣の釈迦如来も参拝され、「仏教の力で世界を平和にできればいいですね」と話したそうです。

 ブータンのワンチュク国王とジェツン・ペマ王妃は、東日本大震災の被災地も訪れています。ブータンは、国民の心理的幸福などを指標とする国民総幸福量(GNH)を提唱しています。国王夫妻の来日された際の言動やふるまいを見ていますと、国民総幸福量(GNH)を重視されている国の心の豊かさが実感させられたような感じがいたします。また、国王は国会で演説され、東日本大震災について「いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません」とした上で、「しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民だ」と語り、ブータンの言葉「ゾンカ語」で祈りを捧げました。

 最後に、冒頭で述べた初めて食べましたが、たいへん美味だった豆乳の湯豆腐のお店を紹介していきたいと思います。詩仙堂や八犬神社に向かう途中にある「湯どうふ 豆花(とうか)」(京都市左京区)さんで食事を堪能してきました。豆花さんは、国内産大豆を柔らかに作った豆腐を自家製のつけだれで味わう湯豆腐のお店です。我々は、おすすめコースの3000円ほどの料理を堪能してきまして、豆乳湯豆腐、ごま豆腐、温泉玉子、生麩田楽、麦ご飯、とろろ汁、香物と盛りだくさんでした。

 みなさんも是非機会がありましたら、じっくりと、まったりとした心の豊かさを感じるような優雅なひとときの京都観光に出かけてみてはいかがでしょうか。そして、合わせて、豆乳の湯豆腐も食べられてみてはいかがでしょうか。食べたことがない方は、一度、食されるといいと思います。当方もそうですが、日頃、あまり豆乳を飲まれない方でも十分、美味しく味わうことができると思います。

By Nagura

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