“モノづくりのまち”刈谷市を訪ねて (日本・愛知)

視察日:1999年3月16日

 刈谷市(人口12万5千人ほど)は愛知県のほぼ中央の西三河地区に位置する製造業の盛んなモノづくりのまち・工業都市という意味合いが強いまちです。市内には、デンソー、トヨタ自動車発祥のおおもとでもある豊田自動織機製作所、アイシ刈谷亀城公園イメージン精機、豊田工機などトヨタグループの本社工場が集積しており、刈谷市は愛知県内第4位の工業出荷額を誇っています。ちなみに愛知県の工業出荷額は全国一です。刈谷市へは周辺市町村から通勤している人も多く、昼間人口は15万人を超えるほどになっています。

 今回、久しぶりに刈谷市を訪ねてみようと思い立ったは、先日(1999年3月6日)豊橋で行われました中心市街地活性化シンポジウムにおける藻谷氏の「よみがえれ中心市街地」という講演の中で、かつて繁栄していた刈谷市の商店街が町の重心(活動拠点)が東へ移動していったことによって衰退してしまったという事例をビデオで紹介されているのを見たことでした。ビデオの中で“古く寂れたアーケードが残っている”状態の映像が流され、実際にこの古く寂れたアーケードで商売をされていらっしゃる方には誠に失礼な話ですが、豊橋においてもこのような状態にならないように危機感をもたせるというか戒めの意味合いもあり紹介されていました。
 この映像を見た時、どこかで見たことがあるなあと過去の記憶がよみがえってきました。私はもともと刈谷市の生まれで4歳の頃まで住んでおり、にぎやかで華やかだった頃のこの銀座中町のアーケード商店街の記憶が思い出されました。当時アーケードの中にあった、店名は定かではありませんが確か中央無線という電器屋さんでラジオを買ったような記憶が残っています。先日のシンポジウムの中でこの古く寂れたアーケードの映像が紹介されているのを見て、まだアーケードが残っているんだと感慨深く、機会があれば見に行こうと思っていた次第です。銀座中町アーケードイメージ
 私は、刈谷にはその後社会人になってからも縁があり、10年間近くサラリーマン時代に刈谷へ通勤していました。当時は、日々の忙しさもあり、この“銀座中町のアーケード”の存在は遠く頭の片隅に追いやられていたのか思い出すことはありませんでした。ですから、今回20数年ぶりにこのアーケード商店街に足を運んだことになります。

 上から2番目の画像が、銀座中町のアーケード商店街を写したものです。かつての賑わいが思い出されるとともに、昔の面影は十分感じられました。現在アーケード内には、酒屋さんとはきもの屋さんの2件が営業しているだけですが、しっかりと地域振興券取扱所の旗は立てられていました。アーケードの架かっていない両側には昔ながらの銀座商店街が続いており、点々と店舗が並んでいます。
 ちょうど私がこのアーケードを歩いていると、サラリーマン時代に同じ会社だった女性(現在は専業主婦ですが)がベビーカーにお子さんを乗せ散歩している姿に出会いました。彼女の小さい頃は、この商店街も人通りが多かったという話を伺うとともに、商店街の拡幅工事の再開発の話もあったようですが、商店街の中で折り合いがつかなかったこともあり現在も昔ながらのままということも伺いました。アーケードについても、撤去するだけで費用がかかってしまうこともあり、この点も折り合いがつかないようです。

 以前に名古屋市大曽根にあるオズモールを見に行ったことがあります。名古屋市の新副都心開発で現在は取り壊されしまいましたが、モダンな建物の「オズモール」の隣に時代が止まってしまったようなレトロな雰囲気の「大曽根アーケード商店街」がありました。その時にこのレトロな雰囲気の「大曽根アーケード商店街」を何とか活用できないものかと思ったものです。
 今や、昔ながらのアーケードは取デンソーイメージり壊されているところが多い中、このレトロを超越したような銀座中町のアーケード商店街が“そのまま残されている”というか“放置されている”状態は逆に貴重のように思います。言葉を変えれば、立派な文化遺産として“宝の山”に変わる可能性も秘めています。刈谷という“まち”の移り変わりを伝える“歴史的建造物”という視点で見ることもできます。私にとって生誕の地という思い入れもありますが、ここまで残して放置してきた以上、商店街の人たちと行政、市民が一丸となってうまく活用していって欲しいものです。
 それでは、活用していく上でのポイントにもなる立地関係を少し述べておきます。先程、刈谷市の商店街など町の重心(活動拠点)が東へ移動していったと述べましたが、銀座中町のアーケード商店街から西へ500メートルほど行ったところに桜の名所でもある亀城公園があります。一番上の画像が、亀城公園を写したものですが、サラリーマン時代にはここで、花見の季節になると場所取りをして、よくどんちゃん騒ぎをしたものです。そんなことはどうでもいいのですが、亀城公園の“亀城”という言葉は“刈谷城”の別名を表わしており、昔ここに刈谷城があったことを示しています。ですから、銀座中町のアーケード商店街は城下町の商(あきない)の場として発展してきたわけです。現在、刈谷城の建物は存在しておりませんが、近くにある刈谷藩の藩校だった「文礼館」の流れを組む旧亀城小学校本館(昭和初期の建物で現在刈谷市郷土資料館)が国の有形文化財に登録されています。市内で最も古い歴史のある亀城小学校は、文化財と隣り合せで現在も子供たちが元気よく学んでいます。この辺りは、工場群もなく、駐車場に利用されていたり比較的空間(土地)的に余裕が感じられますので、銀座中町のアーケード商店街と一体的に整備していけば、“文化・歴史ゾーン”としておもしろい独自性が出せるのではないかと思われます。

 商店街の様子とは対照的に映ったのが、刈谷市に本社を持つ工場群です。明治用水イメージ自動車の販売台数が伸び悩んでいるとはいっても、やはり刈谷市内を回ってみますと、勢いのある世界的な工場群が目にとまります。今回、車を使って安城方面から刈谷市に入ってきましたが、かなり遠くから建設中の高いビルが見えました。どこが建てているのだろうかと車を走らせていきますとデンソー本社でした。
 上から3番目の画像が、デンソー本社を写したものです。現在建設中の新しい建物は、たぶん新しい事務本館になるのではないかと思われます。
 また、ちょうど刈谷市へ視察に行ったその日(1999年3月16日)に、デンソーがイタリアのフィアット系の大手部品メーカーの電装品事業を買収するという内容が発表されました。デンソーの欧州における電装品などのシェアは現在1%ほどで出遅れていましたが、今回の買収で一気に20%以上のシェアを獲得することになります。合併・提携が繰り広げられている自動車(完成車)メーカーのみならず、部品メーカーにおいてもグローバルな競争の中での生き残りをかけて、国際再編に向け動き始めているようです。

 最後に刈谷駅周辺の再開発の動きについて紹介します。刈谷駅南にある現在暫定的に利用している運動公園(タイル工場跡地)は、なかなか話がまとまらず頓挫していましたが、ようやく具体化に向けて動き出したようです。ここは、サラリーマン時代によくソフトボール大会の会場として利用させていただきました。
 この運動公園(タイル工場跡地)を住都公団は、「刈谷市の玄関口、西三河の中核都市にふさわしい生活交流空間」を開発方針に掲げ、店舗棟2棟、ホテルなどの大規模商業施設のほか、市民ホールや生涯学習センターなどの行政サービス施設、約90戸の賃貸住宅などを建設する計画を提示しています。流れとしては、1999年度の都市計画決定を経て、2002年度以降の完工を予定しています。

 また、上から4番目の画像は、刈谷駅から200メートルほど北に歩いた道路の下に明治用水が流れている面影を残す歩道上の水辺空間を写したものです。昔は、実際に水が流れている様子を見ることができたのですが、現在は暗渠化(用水の上に蓋をすること)が図られ、明治用水上は、道路と歩道になっています。安城市では、暗渠化された明治用水の上をサイクリングロードとして整備しています。明治用水の成り立ち等の詳細は、視察レポート「安城の歴史・文化探訪」の項で述べてありますので、よろしかったら併せてご覧下さいませ。

 今回訪ねてきました刈谷市は経済力のある地域だけに、長期的展望に立ってじっくりと“まちづくり”を進めていってもらいたいものです。

By Nagura

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