伊勢神宮の門前町の
おはらい町・おかげ横丁を訪ねて 
(日本・三重)

2003年5月24日

 三重県伊勢市(人口約10万人、面積178.97平方キロメートル)を訪ねて参りました。伊勢は、昔から“お伊勢さん”で親しまれているおはらい町・大道芸人伊勢神宮のお膝元として賑わってきたところです。日本の総氏神でもある天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀り、2000年もの長きにわたって鎮座している伊勢神宮は、正式にはただ“神宮”といい、五十鈴川に架かる宇治橋を渡って行く深い森に覆われた内宮と、そこから約5キロメートル離れた宇治山田駅、伊勢市駅そばの外宮が中心をなし、さらに両宮に所属する120余りの摂社、末社などから構成されています。

 お伊勢参りは、江戸時代に「一生一度の伊勢参り」「おかげ参りはええじゃないか」と江戸庶民の熱狂的な支持を受けていました。江戸時代、当時の人口の5分の1にあたる人々が、日本全国から“伊勢に行きたい伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも”と伊勢神宮に押し寄せました。居住移動することを制限され、満足な宿泊施設もない当時の参宮は、まさに命懸けの旅だったようです。命懸けの旅人に、伊勢の人々は、自分の施しが神様に届きますようにと“おかげの心”で“施行”と呼ばれる振る舞いを行い、物・心の両面から旅人を支え、あたたかく迎えたと言われています。時代は変わり、平成の世となっても、伊勢人のなかには、日々あることを神に感謝する“神恩感謝”の精神が受け継がれています。自然の恵みに感謝し、日々おかげさまの心で働く、伊勢人のたちによって息づく町として誕生したのが、後ほど詳しく紹介しますが「おかげ横丁」です。

 上から4番目の画像は、伊勢神宮内の五十鈴川の“御手洗場(みたらし)”を写したものです。伊勢神宮の内宮の背後にある深い森から流れておかげ横丁・赤福本店くる五十鈴川の清らかな水で、参拝を前に、手を清めている人々がご覧いただけると思います。五十鈴川の中には、優雅に鯉が泳いでいます。上から4番目の画像の左側に見える川畔の石畳は、徳川5代将軍綱吉の生母、桂昌院が寄進したものと言われています。

 あと、伊勢神宮のミニ知識として“式年遷宮(しきねんせんぐう)”を少し紹介します。式年とは「定めの年」、遷宮とは「お宮を移す」という意味で、伊勢神宮では、20年を式年とし、古来から20年ごとの遷宮を行っています。最近行われた式年遷宮は、第61回となる1993年で、今のお宮は10年経過しており、10年後には隣に移されます。今の社殿の隣には、まったく同じ広さの更地(古殿地(こでんち))が用意されています。お詣りした際に、あと10年後(2013年)に神様の引っ越し先となる更地には、のんびりと鹿がおりました。

 内宮が伊勢に鎮座して以来、造営は必要に応じて行われてきました。それを20年ごとに定めたのは天武天皇で、内宮が690年、外宮が692年に第1回目の式年遷宮が行われ、以後約1300年間、南北朝や戦国時代の中断を除いて脈々と続けられています。式年遷宮には、神様のすまいを常に清らかに保つことによって、大いなる力をそなえていただこうという思想と造営を通じて、建築や工芸の技術を確実に次世代に伝える役割も果たしています。神社・仏閣などの建築を専門にする宮大工はまさに匠の技であり、今、トヨタ自動車関連企業はじめ、製造業の世界で、ものづくりの伝承の危機感が叫ばれており、高齢化を迎えた匠の技を夏まちまつり・ゆかた姿若手社員に伝えていこうという取り組みがふと思い浮かびました。ソニーももう一度、ものづくりを見直そうと新ブランド“クオリス”を立ち上げるなど、原点にもどり、匠の技を伝承していこうとしています。

 伊勢神宮をお詣りして、多くの方が、次に行くのがおはらい町であり、おかげ横丁です。今や、おかげ横丁を楽しみに伊勢神宮に参拝される方もいらっしゃるほどです。伊勢神宮には、年間約400万人の方が参拝に訪れます。そして、おかげ横丁のあるおはらい町には、年間約300万人の方が訪れます。しかし、ここおはらい町には、ほんの10年ほど前までは、なんと年間12万人ほどの観光客しか訪れませんでした。10年前までは、観光バスで来て、伊勢神宮を参拝して、10分ほど伊勢神宮の入り口の宇治橋近くのみやげ物屋ですませて、次の観光地にいくという状態でした。もちろん、車が普及する前のおはらい町は、伊勢神宮の参宮街道として門前町としてたいへんな賑わいを見せていました。それが、モーターリゼーションの発達によって、観光バスによる伊勢参りが増え、おはらい町を通らずに直接、鳥居前の伊勢神宮の駐車場まで行き、参拝して、そのまま、また観光バスに乗り、次の観光地に行くという流れとなっていきました。そんな流れに地元の方々が危機感を持ち、平成元年(1989年)に制定された「伊勢市まちなみ保全条例」をきっかけに、現在300万人が訪れる町に変貌を遂げていきました。仮におはらい町で平均一人1000円を使ったと仮定しても、10年前の12万人ですと1.2億円、それが300万人の今30億円になります。伊勢神宮というブランドがもとからあったということを差し引いても、30倍近くのマーケット規模が広がったことはものすごいことと思います。地元住民たちの努力の結晶と言えます。

 おはらい町は、伊勢神宮(内宮)の入り口の宇治橋の鳥居あたりから、五十鈴川に平行して伸びる約800メートルの通りです。一番上の画像は、伊勢神宮側のおはらい町に入ったところから、おはらい町通りを写したものです。ちょうど、大道芸をや伊勢神宮・五十鈴川っており、観光客が周りを取り囲んでいる様子が伺えます。そして、おかげ横丁は、おはらい町の真ん中あたりにある一郭で、いわゆる、おはらい町から横丁に入るという感じです。上から2番目の画像は、おはらい町の真ん中あたりを写したもので、味わいのある木造の建物が赤福で、左手側が集客の目玉でもある平成5年7月にオープンした“おかげ横丁”に入る入り口部分です。画像上に、おかげ横丁という板看の板が石灯ろうの手前に小さくですがご覧いただけると思います。

 おかげ横丁は、約2600坪の敷地に20数棟の商店があり、江戸から明治にかけての町が再現されています。上から3番目の画像は、おかげ横丁内を写したものです。おかげ横丁では、ちょうど行った日に、夏まちまつりが開催されており、ガマの油売りやバナナのたたき売りなどの大道芸ショーや金魚すくいや昔懐かしい玩具を販売する約20ほどの屋台が出ていました。夏まちまつりに浴衣で出掛けようというキャッチフレーズもあり、上から3番目の画像でも見られますが、浴衣姿の女性も多く見られました。おかげ横丁は、一番上の画像の左隅に見られます伊勢名物のあんころ餅「赤福」で有名な宝永4年(1707年)創業の老舗の「(株)赤福」が、お伊勢さんのへの感謝の気持ちを込めてつくったものです。余談ですが、赤福は、あんころ餅の“赤福”ただ一つの商品だけで年商約150億円を売り上げています。販売も伊勢を中心に東は名古屋、西は大阪まで300箇所の限定で、商品といい販売といい見事な戦略です。

 おはらい町・おかげ横丁の現在の姿を紹介しましたが、これまでの20年近くのおはらい町の再生を少し紐解いていきます。おかげ横丁の誕生含むおはらい町の再生には、老舗の赤福の協力が大きかったことは確かです。赤福は、コンクリート4階建ての本社社屋がまだ使えるのにも関わらず、伊勢の町並みに合うように取り壊し、建て替えておかげ横丁をつくったのです。以前、ここおはらい町は、“日本一滞在時間が短い観光地”と揶揄(やゆ:からかうこと)されたほどでした。そんな危機感のなか、地元の商店街・住民グループが1979年に内宮門前町再開発委員会を結成し、話し合いを始めました。そして、話し合いを重ねていき、ようやく10年かけて“昔ながらの伊勢の風情を感じるまちなみ”を整えて行こうという提案をまとめ、伊勢市に「電柱の地中化」「道路の石畳舗装」などの要望を出しました。その住民の要望を受けて、伊勢市が先ほど記載しました「伊勢市まちなみ保全条例」を1989年に公布し整備に乗り出した次第です。

 しかし、整備するにあたって、まず問題が挙がりました。それは、おはらい町の通りの道路の伊勢神宮側半分が県道で、その反対側半分が市道であったため、県側は、一部の道路だけを費用のかかる石畳にすることはできないと言ってきたことです。それに対し、伊勢市側は、「まちなみ保全は伊勢の貴重な文化を守ることになる。何より住民がそれを強く望んでいる」と訴え続けました。伊勢市の粘り強い交渉についに県は工事を了承して、おはらい町は県道市道関係なく、石畳舗装と電柱の地中化がされることになりました。住民だけではできない、おはらい町のインフラ整備を行政の協力もあって進められました。地域住民、伊勢市、三重県が一致団結してできたインフラ整備と言えます。

 インフラが整備され、そして、次に商店街含む住民グループが取り組んだのが、伊勢ならではのまちの表情を取り戻すために、一軒一軒の家のつくりを整えることでした。住民たちが改築に関して、通りに面する家は、建築様式にはじまって、使う材料、壁の色まで12項目にわたる詳細な基準を設けました。建て替え・改築の財源には、地元企業が5億円の寄付をして、伊勢市がこれをもとにまちなみ保全事業のための基金をつくり、伊勢市が低金利で住民に融資するというユニークな形をとりました。この仕組みの活用で、わずか4年という短期間で急速に伊勢の風情が感じられる町並みに姿を整えました。観光には直接関係ない理髪店や文房具店、銀行などもまちなみのために動き始めました。このような流れを受けて、赤福がコンクリート4階建ての本社社屋を取り壊して、まちなみに合うように、上から2番目に見られる木造の建物の「赤福」と「おかげ横丁」を誕生させたのです。住民たちの取り組みが、地元を代表する老舗企業「赤福」を動かし、おはらい町の再生のために、1000万円以上かけて、まだ使える本社ビルを取り壊したのです。そのような経緯を経て、今では、数多くの伊勢独特の建築家屋が並ぶ古い町並みができつつあります。

 皆さんも、伊勢参りとともに、住民たちが主導となって、行政と協力しながら10年近くかけて再生したおはらい町・おかげ横丁を散策されてはいかがでしょうか。住民たちが危機感を持った構想段階から含めますと20年以上かけて、今の町並みを作り上げてきたことになります。行った時も、改築している建物もあり、今も、なお、現在進行形で伊勢の風情が感じられるまちづくりが進められています。おはらい町・おかげ横丁のまちづくりをみてますと、本当に、まちづくりとは、地域住民の方々の熱い思いがとりなす息の長い取り組みが必要なことをつくづく感じます。

 最後に散策のご参考までにお勧めの店を紹介いたします。まず、伊勢名物の赤福ははずせないと思います。実際に本店で、赤福を食べてきました。赤福は、名古屋や大阪のキヨスクで売っていますが、ついたばかりの餅のできたては、さすがにうまいです。また、夏限定の夏の風物詩“赤福氷”も人気のようです。こちらは、おかげ横丁の団五郎茶屋で食べられます。雑貨類では、おかげ横丁のなかにある約1000種類以上あつめた猫づくしの“吉兆招福亭”の品揃えは圧巻です。私も商売繁盛を願って、招き猫を一つ購入してきました。あと、食事処では、五十鈴川沿いにある豆腐とアナゴの創作料理の“とうふや”が情緒ある田舎風の建物とともに景色もよくお勧めです。豆腐も付いた穴子めし膳を食べてきましたがなかなか美味でした。

 その他、伊勢の名物では、伊勢うどん、てこね寿司(新鮮なカツオなどのお刺身を醤油漬けにして酢飯とまぜた漁師料理)、さめんたれ(サメの干物)などあります。また、伊勢ならではの江戸時代にたばこ入れなどで流行った擬革紙(ぎかくし)も当時の技法で再現されて売っています。擬革紙とは、和紙に特殊加工を施して革のような質感を出したものです。当時、伊勢参りには、動物でできたものを持ち込んではいけないということから生み出されたようです。また、二見浦(ふたみがうら)の夫婦岩も、伊勢神宮から車ですと、近いですので、二見浦からの伊勢湾を眺めるのもいいと思います。

By Nagura

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