雄大な川と城の“まち”犬山を訪ねて (日本・愛知)

視察日:1999年4月3日

 江戸時代から360年余年にわたって継承されている犬山祭を見物するのに合わせて、犬山市の中心市街地を歩いてき犬山祭イメージました。犬山(犬山市の人口約7万1千人ほど)をゆっくりと訪ねたのは十数年ぶりのような感じがいたします。岐阜県にあるスキー場に行く時は、国道41号線を使って犬山はよく通っていたのですが、その時は本当にさっと通り過ぎるだけでした。
 犬山と言えば、愛知県内の数少ないうちの観光都市というイメージが強く、小さい頃よく親に連れて行ってもらった思い出があります。犬山遊園駅からモンキーパークへ向かうモノレールがおぼろげながら子供心に記憶に残っています。また、中学校か高校の時に、社会見学か遠足で犬山にある明治村にも行きました。ちなみに明治村は、犬山市南東部の入鹿(いるか)池に面した美しい丘陵地にあり、明治時代の建築物や文化財を中心に移築されており、当時の生活文化を再現した野外博物館といった趣のあるところです。私個人的には、幕末から明治という時代は好きですので、けっこう気にいっていますが、今のアミューズメントパーク全盛の時代にあっては入館者数は伸び悩んでいるようです。そのような状況の中、明治村の方向性もより時代にマッチした“体験型”に変わりつつあるようです。

 行った日は、天候も良く桜は満開を迎えており、子供たちは春休みで土曜日ということもあり、かなりの人が出ていました。一番上の画像が、犬山祭の伝統でもある精巧なからくり人形を乗せた車山(やま)を写したものです。画像を見ていただきますとわかりますが、車山は、3層からなる豪華なもので、高さ8メートルほどあります。車山の一番の上の布で覆われている部分にからくり人形があります。車山は全部で13両あり、犬山城近くの針綱神社前広場にすべての車山が重なるように並んでいる光景は、なかなか迫力があり勇壮でした。13両すべての車山に「奉納からくり人形」が乗っており、披露するのは全国でも唯一だそうです。また、夜になるとちょうちんを灯して“飾り犬山城イメージ夜車山”となり、今回見ることはできませんでしたが、それまた豪華絢爛で圧巻のようです。

 ここで少し、城下町犬山の文化・歴史を桜が映える犬山城と雄大な流れを誇る木曽川とともに見ていきます。
 犬山城は、1537年(天文6年)に織田信長の叔父信康が建てた城といわれており、木曽川を望む断崖の上に建っています。1617年に成瀬隼人正正成が城主となってからは成瀬家が継いで明治に至っています。そして、今もなお、成瀬家が引き継いでおり、日本で唯一の個人所有の城でもあります。実際に犬山城に登っていく途中に成瀬さんのお宅があります。現在は別荘的に使われており住んではいないと思われます。また、現存する天守閣としては日本最古のもので、国宝となっており、白壁に屋根瓦の黒が映える落ち着いたたたずまいはたいへん美しく、荻生徂徠(おぎゅうそらい)が李白の詩から別名“白帝城”と名づけたほどです。上から2番目の画像が、犬山城を写したものです。画像からも伝わると思いますが、満開の桜と城というのは誠に絵になります。
 実際に犬山城に登りましたが、眼下に広がる雄大な流れの木曽川、そして濃尾平野の眺めは絶景です。雪のかぶった木曽御岳山も見ることができました。木曽川では、鵜飼、ライン下りが夏の風物として有名ですが、ドイツのライン川と似ていることから、日本ライン(岐阜の美濃太田から犬山まで約13キロメートル)とも呼ばれています。犬山城から下流方向を見ますと、対岸に小高い山が見えますし、また、上流方向を見ますと山々が連なっていますので、ライン川というイメージと重なる部分も確かにあります。この辺り(尾張:名古屋)は城下町イメージ、木曽川、長良川、揖斐川と3大河川が流れており、水も豊富にありおいしいところでもあります。約320年前に犬山城主が御料鵜飼として木曽川で始めた犬山の鵜飼の歴史は、長良川の鵜飼より古く、日本最古の伝統を誇っています。あかあかとかがり火をたく鵜飼船に乗った鵜匠が、夏の夜空に浮かぶ犬山城をバックに熟練の技を披露するさまは、まるで古典絵巻を見るような趣があるようです。

 犬山祭、鵜飼を見ましても300年以上の歴史があり、犬山という土地柄はだいたいお分かりいただけたのではないかと思います。江戸時代の犬山という位置付けを考えますと、尾張名古屋の奥座敷と言えます。京都で言えば、京都の奥座敷の宇治といったところでしょうか。宇治川のほとりにある宇治平等院、木曽川のほとりにある犬山城、風景そのものが極端に似ているとは言いませんが、そこに流れている空気・雰囲気は相通じるものがあるように感じます。宇治市にしても犬山市にしても市域の半分以上が森、山地などで占められているという自然の豊かさという点では共通項はありますが・・・。

 今回、犬山城下のかつての城下町を歩いてきましたが、ところどころに江戸時代の面影が感じられるとともに、実際に古い建物が多く残っています。上から3番目の画像は、ある民家を写したものですが、塀のつくりに歴史の重みと江戸時代の面影が感じられます。その他では、昔ながらの民家の庭園を開放しているところや資料館、公民館(寄り合い所)などに古い建物を利用しているところも見られました。

 そして、今回歩いてみて、犬山の中心市街地というのは、犬山駅(名鉄犬山線)を境にして、西側の昔ながらの城下町と東側の新興住宅街というよ犬山橋イメージうに、古い“まち”と新しい“まち”が見事にきれいに分かれているというか分断されていることに驚きました。これだけきれいに分かれているということは、かつての城下町における開発が紆余曲折あってなかなか進まなかったことを表わしているのではないかと思います。実際に、一部、拡幅されたアーケードのかかっているところもありました。その他のところは、いい意味で取り残されたと言えます。今、時代は、全国各地で古い民家・建築物を見直し、活用しようという動きが広がっているだけに、犬山市にとっては、貴重な財産・お宝が残っていると言えます。

 あと一つ、犬山市が“文化・歴史を生かしたまちづくり”を進めていく上で、将来性が期待できるのが、警察署、郵便局などが東側に移転しているのに対し、市役所がまだ城下町側に残っていることです。見たところかなり老朽化しており、東側への移転の話が進んでいたようですが、駅前ショッピングセンターの撤退の話に伴い、再検討されているようです。また、市役所近くには、外観もきれいな市立図書館があり、ここでは、市民のみでなく県外の人でも誰もが利用できるというユニークなサービスを行っています。

 城下町を活用していくに当たっては、単に保存して残していくというのではなく、難しい面は多々ありますが、そこでの生活(利用)空間を確保しながら保存していくという動態保存という形が望ましいと思います。ですから、無理に不便で窮屈な生活を強いることはありませんから、壊すところは壊す、残すところはできるだけ残すという取捨選択をしながら、生活レベルにあった自然な形で進めていくことこそ、これから何世代にわたっても文化・歴史というものを継承していけるのではないかと思います。
 今回、犬山市街地の随所を歩いてみて、予想以上に古い民家が残っていることに、魅力を感じましたが、最も新鮮に映ったのが雄大な“川の流れ”(木曽川)でした。市内各所に水辺空間を設けるなど“川”を生かしたまちづくりを進めるのも面白いのではないかとふと感じました。現在、犬山の各観光施設は回遊性があまりないだけに、アメリカのサンアントニオのように、市内に運河をつくって巡らし、遊覧船で各観光施設を結び、回遊性をもたせることも不可能ではないように思います。

 最後に、今年度いっぱいで見られなくなる全国的にも珍しい、電車と自動車の共用の犬山橋を紹介します。上から4番目の画像がその模様を映したものです。パノラマスーパー(名鉄電車)の横を自動車が通っている何ともアンバランスな様子がご覧いただけると思います。今年度いっぱいで見られないということもあって、各撮影ポイントでカメラを構えている方が、10数名ほど見られました。中には、プロのカメラマンかも知れませんが、けっこう本格的なカメラを持っていらっしゃる方も見られました。現在、下流側に自動車専用の新犬山橋を造っており、今使用している犬山橋は鉄道専用の橋となります。

 今回、犬山を訪ねるにあたりまして、当方のメールマガジン「地域・まちづくり情報&コラム」をお読みいただいております犬山にお住まいの森島さんに犬山祭含め市内各所をご案内いただきました。最後に、紙面(ホームページ・メールマガジン上)を借りまして、お礼申し上げます。ありがとうございました。

追記(2004.11.11)「犬山市の住民参加のまちづくりを訪ねて」の視察レポートも併せてご覧下さればと思います。

By Nagura

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