路面電車が快走する広島市街地を訪ねて (日本・広島)

視察日:2000年3月24日

 広島県広島市(人口:約110万人:1998年)を訪ねて参りました。広島へは、20数年ぶりに行きました。昔路面電車イメージ、親戚のある松江に行くのに広島駅まで迎えにきてもらったことがあり、その時に原爆ドームなど市内を巡った記憶が子供心ながら残っています。

 広島市内は、路面電車の線路網がまだまだ張り巡らされており、市民および観光客の足として生きています。一番上の画像は、繁華街にある紙屋町のそごう前の路面電車を写したものです。
 広島は、昨年(1999年)6月から熊本市に続いて、低床型路面電車を核にした新しい公共交通システム(LRT:ライト・レール・トランジット)を導入しています。今回は、時間の関係もあり乗ることはできませんでしたが、熊本市において乗った時の乗り心地などをレポートしておりますので、ご覧いただけたらと思います。熊本市の場合2両編成でしたが、ここ広島市は、5両編成の超低床車のLRT“グリーン・ムーバー”が走っています。床面の高さは33センチでホームとの段差はわずか数センチであり、年配者や車いすの人にも利用しやすいというわけです。もっとも、加速減速など走行がスムーズなことも挙げられます。昔ながらのレトロの雰囲気のガタンゴトンというチンチン(路面)電車の味わいはないかも知れませんが、まったく新しい乗り物といった感じを熊本市で乗った時に印象強く受けました。(後日、当方のメールマガジン「地域・まちづくり情報&コラム」をお読み頂いておりますLRTを専門とされている本田さんよりLRTについてメールを頂きました。LRTは、交通システムの総称のことを指しており、熊本や広島が導入した超低床車両はLRV(ライト・レール・ヴィークル)と呼び、LRTシステムとは区別しているとのことです。2000.4.2追記)

 今回広島へは、広島市の南東部に位置する熊野町のカード化事業の視察に行った次第です。午後から熊野町での予定が入っており、午前中の3時間ほど広島市内を巡りました。名古屋から広島までは、新幹線の“のぞみ”を使えば2時間ほどで思ったより近いです。ちなみに“ひかり”では、3時間ほどかかります。

 まず、広島駅を降りて、路面電車に乗って、原爆ドーム前まで行きまし原爆ドームイメージた。平日にもかかわらず、観光客もけっこうおりました。前に、京都に行った時にも感じたのですが、ここ広島でも台湾・ホンコンなどアジアからの観光客の姿が目につきました。交わす言葉を聞かない限り、日本人と見間違うほどです。
 上から2番目の画像が原爆ドームを写したものですが、20数年前に見た記憶のまま、今も変わらず存在しているということが実感できました。原爆ドームは、大正4年(1915年)に広島県産業奨励館として建設されたもので、昭和20年(1945年)に上空580メートルで爆発した原爆によって破壊された姿を現在も保存しています。平成8年(1996年)には、世界文化遺産にも登録され平和のシンボルとして存在しています。

 原爆ドームを後にして、メインストリートの“本通り”はじめ、並木通り、じぞう通り、紙屋町のそごう、パセーラなどを見て歩きました。“本通り”には、今や全国各地に進出している広島拠点の100円ショップのダイソーがしっかりとありました。平日とあって、人通りは、それほど多くありませんでしたが、そごう前やパセーラ前のオープン広場では、若者たちがけっこういました。
 上から3番目の画像が、パセーラの吹き抜け空間を写したものです。パセーラは、そごう新館と隣接しており、ファッションブティックや雑貨ショップ、飲食店などが入っている専門店街といったところです。また、リーガロイヤルホテル広島とも隣接しています。

 その後、まだ少し時間があったたパセーライメージめ、足を伸ばして広島城の天守閣にものぼってきました。広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた城です。広島という地名は、広島城築城の1589年(天正17年)4月15日に城地にふさわしい名ということから、毛利氏の祖大江広元の「広」と輝元をこの地に案内した福島元長の「島」を合わせて「広島」と名付けられたとされています。また、太田川の河口にあるもっとも広い島ということから「広島」と命名されたという説もあります。

 今回、広島市街地を短い時間ですが、巡ってみて人口100万以上をかかえる都市で、路面電車がこれだけ市民の足として活躍している姿をみますと、再評価とともに次世代の都市交通を考える上でもこれからの取り組みが楽しみになってきます。路面電車は輸送量が少ないうえ、新規に線路を敷設すると自動車の交通容量が減るなどの問題もありますが、建設コストでは1キロメートル当たり約20億円と地下鉄の約10分の1という強みもあります。岡山市では、市民団体「路面電車と都市の未来を考える会」が今年(2000年)2月から低床車購入支援の募金活動を始めています。市民の側からの行政への働きかけの動きも出てきており、より広い視点からトータルコストも含め、行政、専門家等多くを巻き込んで公共交通について議論する時を迎えていると言えます。

 最後に愛知県豊橋市の路面電車の話題を併せて載せます。つい先日、仙台市からお見えになった方とともに、豊橋の路面電車に乗ってきたばかりです。豊橋市にも路面電車の愛好団体「とよはし市電を愛する会」があり、副会長でもあり画家の伊奈氏が、毎年会が発行するカレンダーの絵を描いています。2年前に描かれた1枚に「ゆめ市電ほたるの宿へ」という絵があります。現在の路面電車は、朝倉川にかかる多米橋の手前の赤岩口電停で線路は終わり、絵の舞台はその先です。
 この絵には、「路面電車に乗ってホタルを見に行こう」というメッセージが込められています。また、非営利団体NPOの「朝倉川育水フォーラム」へのエールでもあります。朝倉川のホタルは、1960年代以降の河川改修や宅地開発のため姿を消しました。朝倉川育水フォーラムは、1997年から、川にホタルを取り戻そうと、ごみ拾い大会や里山づくりのほか、川岸に植樹したりホタルの幼虫を放流したりしています。ホタルが舞う川にし、路面電車を延長させて、ホタルを見に行くことの夢が市民の間で膨らんでいます。
 現実的に考えれば、豊橋の路面電車は、年間7,000万円を超える赤字を出しており、夢物語と言えなくもありませんが、2年前には、全国でも珍しく豊橋駅構内に150メートルほど延長されました。なお、現在の赤岩口電停からホタルの朝倉川にかけては、住宅地も多く、土地が平らという好条件ですので、これから路線が延長されるなら可能性が一番高いと言えます。何年後になるかわかりませんが、ホタルの光が舞う朝倉川の水辺へ路面電車を使って見にいきたいものです。豊橋では、全国各地で走っていた懐かしい路面電車が現役で走っている姿も見られますので、豊橋にお越しなった際は、是非乗られてみられてはいかがでしょうか。

By Nagura

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