桑名の雅楽の舞、名物の食(蛤・はまぐり)、
商店街の三八市を訪ねて
(日本・三重)

視察日:2011年5月14日、2010年10月18日

 三重県桑名市(人口142,383人、54,859世帯、面積136.61平方キロメートル:平成23年4月末日現在)を訪ねてきま六華苑の舞楽した。美を極めた六華苑の日本庭園では、絢爛豪華な舞楽会が行われていました。六華苑は、2代目諸戸清六の邸宅として大正2年(1913年)に完成したものです。

 諸戸清六は、一家で移住してきた桑名の地で、米穀業をきっかけに財をなし、田畑、山林を購入、経営し、日本一の大地主になっていきます。財をなし、明治19年に海防費を政府に献上したり、桑名の飲料水不足を解消するために、上水道を完成させ、これを無料で町民に開放したりなどしています。本当に“粋”というか、生きたお金の使い方をしていると思います。

 少し諸戸清六が米穀業で財をなした江戸末期の当時の桑名をみていきます。当時の桑名は宿場町として、また海運を利用して米を伊勢神宮や大阪、関東へ輸送するための港湾、商業都市として栄えていました。まさに、諸戸清六はこの地の利を生かし、時流にもうまく乗ったと言えます。清六は、桑名に来た時は、亡くなった諸戸家初代の清九郎が塩の売買が不調に終わり2000両もの負債を抱えていましたが、わずか3年で完済しています。東海道五十三次の中でも、宮宿(愛知県名古屋市熱田区)からここ桑名宿までが東海道における唯一の海上路で、移動距離が7里(約28キロメートル)であったことから七里の渡しと呼ばれています。ちなみに、船での海上移動は4時間ほどかかったそうで、天候の悪化などにより、海難事故がしばしば発生する難所の一つだったそうです。

 六華苑の設計は、鹿鳴館の設計で有名なイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによるもので、上から2番目の画像に見られるように画像からは少し分かりにくいですが、4層の塔屋をもつ木造2階建て天然スレート葺きの洋館です。そ六華苑の舞楽して、洋館の左側に瓦屋根が少し見えますが、和館があり、さらに蔵、池泉回遊式庭園などが広がっています。

 桑名市はこれまでにも数回紹介しており、以前の桑名市に関するレポート「ボランティアガイドにご案内頂いた桑名を訪ねて」「DENKAプラザ&桑名市を訪ねて」「多度大社の流鏑馬(やぶさめ)祭りを訪ねて」も合わせてご覧頂きますと、より深くご理解できると思います。ちなみに、六華苑にもこれまでにも複数回行ったことがありますが、庭園でここまで本格的な雅楽の舞を見たのは初めてでした。

 雅楽の舞は、古代歌謡を起源とする「国風歌舞(くにぶりのうたまい)」と、外来舞を起源とする「舞楽(ぶがく)」があります。いずれも平安時代に国風文化の影響を受けて、外来舞楽を受容しつつ日本人の趣向に再構成され、日本の伝統文化として継承されてきました。

 ここ日本庭園の美を極めた六華苑を舞台に、毎年、春と秋に後世に伝えるために舞楽会をされているそうです。今回は春の舞楽会だけに、春の舞の数々が上演されていました。一番上の画像は、「胡蝶」の演舞を写したものです。延喜年間、宇多上皇が子供相撲を御覧の時に作舞作曲された国風の名曲で、源氏物語の24帖では「花園の胡蝶」として、蝶が山吹の花を飛び交うように優美に舞います。画像からも優美に舞っている蝶がご覧いただけると思います。

 上から2番目の画像は、「還城楽(げんじょうらく)」の演舞を写したものです。頬(ほお)と顎(あご)の動く恐ろしい顔の赤色の面に桴(ばち)を持った舞人(まいびと)が、蛇を見つけて飛び上がって喜びはまぐり会・日の出、蛇を左手に捕らえて舞っています。画像からは、少し小さくわかりにくいかも知れませんが、中央に写っている赤い面の舞人が蛇を手に舞台を激しく勢い良く動き回るところは見応えがありました。

 今回のメインは、桑名の名産の蛤(はまぐり)を食べに行ってきました。蛤尽くしの料理を堪能してきました。それも、食をテーマにした人気漫画の「美味しんぼ」の第576話「恵みの貝 後編 地はまぐりのはまぐり鍋」で掲載された「割烹日の出」で食べてきました。上から3番目の画像は、割烹日の出ではまぐり鍋の蛤しゃぶしゃぶを堪能しているところを写したものです。大きな焼きはまぐりはじめ秘伝のだしをつかった蛤しゃぶしゃぶなどかなりの肉厚で柔らかく、これでもかというほどの蛤を食べてきました。普段なら数年かけて食べるような量の蛤を一度に食べたような感じでした。

 また、焼き蛤と言えば、「その手は桑名の焼き蛤」という言葉遊びを一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。「桑名」と「食わない」の語呂を合わせ、さらに、桑名の名物として知られる焼きはまぐりとをかけたしゃれた言葉で、いくらうまいことを言っても、そんな計略にはひっかからないという意味合いです。

 桑名産蛤が全国的に有名になったのは、冒頭で述べたように桑名が交通の要衝だったことに加え、桑名が蛤が獲れる日本で数少ない漁場の一つになっていることがあります。桑名は、木曽三川河口域にあり、淡水と海水が程よく混ざった汽水域になっており、蛤の生育に最適な肥沃で広大な干潟が形成されています。この環境下で育った「桑名の蛤」は大型かつ美味上質になります。今回、割烹日の出で、大きな立派な蛤を食してきました。また、桑名産の蛤は、食するだけでなく、色彩が美しいことでも有名で、貝合わせや貝絵や膏薬の容器のための加工用としても珍寺町通り商店街・三八市重されています。今回の日の出でも、自分が食べた大きな蛤の貝殻をきれいに洗ってくれて持ち帰る気づかいもしてくれました。

 最後に、桑名の「台所」ここにありというほど有名な桑名を代表する朝市の三八市を紹介いたします。三八市は、50年余りの歴史があり、毎月3と8のつく日(月に6回)に開催される東海地方有数の朝市で、地元だけでなく、遠方からの固定ファンも多く、毎回1万人を超える買い物客で賑わっています。三八市には、近隣の農家や露店商などが出店し、新鮮な野菜、果物、海産物などを格安で販売しています。

 上から4番目の画像は、入り口部分の三八市を写したものです。三八市は、南北250メートルにわたる寺町通り商店街にところ狭しと露店が並びます。画像からは、海産物の露店がご覧いただけ、威勢のいい掛け声が飛び交っていました。また、三八市の寺町通り商店街の裏を通っている堀には、河津桜が植樹されており、花見も楽しむことができます。ちなみに冒頭で紹介しました六華苑から寺町通り商店街までは、徒歩で7分ほどです。

 上から5番目の画像は、近くの小学生たちが社会見学に三八市に来ている様子を写したものです。小学校の地域を学ぶ教科書には、寺町通り商店街が紹介されており、商店街の取り組みの一環として、三八市も紹介されています。寺町通り商店街は、名前の通り、周りには桑名別院などの寺院が10カ所以上あり、門前町として発展してきたことから「寺町通り商店街」と名付けられたようです。寺町通り商店街は、三八市はじめ後ほど少し紹介しますが、様々な取り組みを行っており、全国的にも元気な商店街として知られ、先進地視察として多くの視察団が訪れています寺町通り商店街・三八市。このように、頑張っている商店街ではありますが、しかしながら、周辺にはショッピングセンターなどの商業施設が次々と出店しており、また、後継者難や空き店舗対策など他の中心市街地と同じように取り巻く環境は厳しいのが現状です。

 最後に、三八市以外の寺町通り商店街の取り組みを少し紹介していきます。三八市は、50年余りの歴史があり、月に6回も開催しているだけでもすごいのに、さらに、2005年8月から毎月第三日曜日に「十楽市」をスタートさせています。十楽市には、三八市とはまた趣きが変わって、骨董(こっとう)市やフリーマーケット、手工芸作品の展示販売などを行っています。また、十楽市では、「桑名寺院歴史散歩」「大道芸パフォーマンスin寺町」「街角コンサート」「商店街絵画コンクール」「キャンドルフェスタ」「防火・防災イベント」などいろいろな趣向を凝らした企画が行われています。

 地域に根づいた、地域に配慮したやさしさも追求しており、店舗にいすを置き、60歳以上の高齢者に割引サービスする「ふれあいカード」を独自に発行しています。ふれいあカードの導入目的は、高齢者にやさしい商店街づくりが念頭にあり、ゆったりとした気分でくつろいで安心して楽しみながら買い物ができる商店街づくりを目指しています。イメージ的には、井戸端会議的な気楽に話し合える商店街づくりを目指しています。そして、ふれあいカードを発行することで、顧客とのより親密な関係づくりを行っていき、固定客の増加、売上や客数の増加を狙っています。

 さらにすごいのが、他の商店街がマネできないほど数々の取り組みを行って頑張っている中でも、危機感を持って、次の世代に向けた寺町通り商店街の将来計画づくりをしていることです。商店街という組織は、一国一城の個性ある店主の集まりの組織だけに、どうしても目の前の売り出しやイベントなどの日常的な業務に追われてしまい、5年後、10年後の自分たちの将来の商店街のあり方を考えていく戦略的な業務がおざなりになりがちです。日常業務に追われ、戦略業務が駆逐されている商店街が多い中で、しっかり次を見据えて考えているところはすごいと思います。皆さんも一度、桑名の名産の焼き蛤の食を堪能し、六華苑など観光巡りをしながら、頑張っている寺町通り商店街の三八市や十楽市などを訪ねてはいかがでしょうか。

By Nagura

リターンイメージリターンイメージリターンイメージリターンイメージリターンイメージ