秀吉生誕の町とエコ商店街を訪ねて (日本・名古屋)

視察日:1999年7月28日

 愛知県(当時は尾張と三河に分かれていました)が生んだ織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三英傑の一人である豊臣大鳥居秀吉のふるさと・生誕の地を訪ねて参りました。信長と秀吉が尾張の生まれで、家康が三河・岡崎の生まれです。信長が1534年生まれ、秀吉が1536年生まれ、家康が1542年生まれと、最年長の信長と最年少の家康の歳の差はわずか八つで、不思議なもので三英傑が、ほぼ同年代に同地域に生まれたことになります。
 三英傑は、皆様方もご存じのように、育ちも性格もまったく異なる三者三様で、信条というべき生き方も違っていて、その功績が歴史上に現われているとも言えます。三英傑の中において、さすがにお膝元の三河地区では、家康人気が高いと思われますが、全国的に見ればやはり秀吉が一番人気が高いのではないかと思います。

 尾張国愛知郡中村で産声をあげた豊臣秀吉生誕の地は、現在の名古屋市中村区にあたります。現在、秀吉ゆかりの地には、秀吉を祭った豊国神社、常泉寺、妙行寺、中村公園などがあり、緑あふれる静かな自然に囲まれています。場所的には、名古屋駅から西へ約3キロメートル行った辺りです。また、後で紹介しますがその途中にエコ商店街として独自の活動をしている「新大門商店街」があります。
 豊臣秀吉生誕の地には、名古屋駅から歩いて行かなくても、地下鉄を使って「中村公園駅」で下車して地上に昇れば、そこには見上げるような豊国神社の参道の入り口にあたる大鳥居がそびえ立っています。一番上の画像が、丸いオブジェと大鳥居を写したものですが、“そびえ立つ”という表現がピッタリくるのがおわかりいただけるのではないか思います。この大鳥居は、地元の人たちから「赤鳥居」または「中村の大鳥居」と親しみを込めて呼ばれており、大正10年(1921年豊国神社)に中村の地が名古屋市に編入された時のお祝いに、地元の人たちが何か残そうと考え出されたものです。計画から8年後の昭和4年(1929年)に完成し、高さ24メートル、柱の太さ直径2.4メートル、左右の笠木の長さ34メートル、全身朱色の大鳥居はとにかく目立ちます。扇子をかざして「アッパレ、アッパレ」という姿が思い浮かぶような派手好みだった秀吉の生誕の地ならではの演出と言えます。
 上から2番目の画像は、豊国神社を写したものです。写真の奥に見える鳥居の向こうには、秀吉を描いた絵が額に入って飾ってあります。ちなみに、この豊国神社は、出世・開運・茶道・建築などに御利益があるようです。また、毎月九のつく日には市が開かれ、朱色の大鳥居から豊国神社までの約500メートルの参道沿いに、日用品、衣類、雑貨、野菜、花木などの露店がたち、近隣の人たちでにぎわいます。

 大鳥居が大正から昭和へと向かう時代に建てられ、秀吉を祭った豊国神社は明治の時代に創建されています。秀吉を派手に祭りあげるようになった背景をもう少し見ていきますと、秀吉の宿敵と言える徳川家康から始まる徳川政権下の300年近くに渡る江戸時代は、秀吉の生誕の地・中村は、秀吉が子供の頃の一寒村に戻っていました。その反動が、徳川の世が終わり明治時代に入ると、うっぷんを晴らすかのように「おらが太閤さま、秀吉公」という流れとなって派手に現われたようです。また、この辺り一帯では、太閤通り、本陣通り、千成通り、日吉町など秀吉にちなんだ地名、通り名がいたるところで見られます。

 話が横に少しずれますが、豊臣秀吉像もう一人有名な武将が、秀吉の生家の隣りで生まれています。その人物は、名古屋城天守閣の石垣を造ったことや、また名君として肥後の殿様として地元熊本では人気が高い加藤清正です。
 清正は、13歳の時に当時長浜城の城主だった秀吉に預けられています。立派な武士として出世することを願った清正の母が、以前隣に住んでいた縁を頼って秀吉に頼み込んだことと、秀吉も出世して禄が増えるごとに、故郷から目ぼしい若者をスカウトして鍛えており、両者の利害が一致したようです。ですから、清正は秀吉子飼いの代表として花開いた武将と言えます。
 清正は、数々の戦いで武勲をたて、27歳という若さで熊本52万石の城主となっています。一般に武勇伝が広く知られていますが、先程述べました名古屋城はじめ、熊本城、大坂城、江戸城などの築城にかかわっています。いっぽう、得意な土木技術を生かして領国の河川改修や新田開発に努め、領民からも慕われていました。
 熊本の場合も名古屋中村の「朱色の大鳥居」の場合と同様に、徳川幕府が崩壊した明治元年(1868年)に、熊本城内に清正を祭る加藤神社が建てられています。徳川政権の時代は遠慮しており、明治新政府になって気遣いが不要になってから、かつての恩に報いようと領民が建てた神社で、いかに清正が地元で慕われていたかが伺えます。

 上から3番目の画像が、慶長11年(1606年)に加藤清正が秀吉の冥福を祈って創建した常泉寺の境内にある秀吉の銅像を写したものです。常泉寺は、豊国神社の東隣にあり、境内には銅像の他に、秀吉産湯の井戸、秀吉手植え新大門商店街の柊(ひいらぎ)などがあります。また、常泉寺の南隣の妙行寺境内には、加藤清正生誕地の碑、清正像があります。
 また、豊国神社に隣接してある中村公園内には、「秀吉・清正記念館」があります。秀吉・清正記念館は、複合文化施設の中村公園文化プラザの中にあり、他に図書館、コンサートなどが行われる小劇場も入っています。秀吉・清正記念館の開館時間は10時から17時までで、ちょうど私が行った時は、すでに17時を過ぎており、残念ながら見ることができませんでした。豊臣秀吉、加藤清正らが生きた時代に関する資料を中心に展示されており、ビデオや模型パネルを用いて合戦のもようもわかりやすく解説されているようです。

 行きは地下鉄で中村公園駅まで行きましたが、帰りは歩きながら途中で新大門商店街を通って名古屋駅まで戻って来ました。上から4番目の画像が新大門商店街を写したものです。この新大門商店街は、名古屋市が資源ごみ収集を始める前から商店街で自主的に資源ごみ収集に取り組んでいる“エコ商店街”としてテレビ、新聞紙上などでよく取り上げられています。今年の2月に書いたコラム「“カーシェアリング”と“エコマネー”とは?」の中でも若干紹介しましたが、名古屋市がごみ処分場として利用しようとしていた“藤前干潟”の埋め立てを断念したことがきっかけとなって商店街独自の取り組みが始まっています。
 今年の5月からは名古屋市全区でやっと資源ごみ収集が開始されましたが、新大門商店街では、それに先駆けて1月28日から行っていました。また、「一番大事なのは、ごみの入り口を止めること。すぐごみになる容器は買わないことで、減量を進めていきたい」として、瓶の使用を呼びかける“リターナブル・キャンペーン”も行っています。最近では、環境問題を取り上げた無料のタブロイド紙を発刊しており、新聞販売店の協力で市内60万戸に配布しています。地方分権が叫ばれている時代、商店街という小さなコミュニティー空間から草の根的に活動されていることは素晴しいことと思います。

 秀吉の生誕地の中村界隈は、イメージ的には何となく地味な感じを持たれていますが、歴史がザックザック詰まっており、行かれると意外な発見が見つかるのではないかと思います。また、太閤秀吉にあやかり出世開運を願っている方にももってこいでしょう。

By Nagura

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