近江商人のまち・近江八幡市を訪ねて (日本・滋賀)

視察日:1999年9月3日

 近江商人の故郷の一つである滋賀県近江八幡市(人口約6.7万人)を訪ねて参りました。ここ近江八幡をはじめ、近郊の日野、五個荘などの八幡堀イメージ地域で近江商人を多く輩出しています。近江(現在の滋賀県)出身の商人の中でも早くから商才を発揮したのが、近江八幡出身の八幡商人でした。滋賀県は、日本最大の湖・琵琶湖を取り囲むようにあり、近江八幡市は、琵琶湖の南東湖畔に位置します。

 近江八幡のまちの成り立ちを簡単に紐解きますと、1585年にのちの関白豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が八幡山(上から3番目の画像の奥に見える山が八幡山です)に城を築き、城下町を開いたことがそもそものまちの始まりです。また、ここに人が存在したことは、発見された石器などから縄文時代にまで遡ることができます。秀次は、京都の町のように、城下町の道を碁盤の目状にきれい整備するとともに、織田信長が目指した自由商業都市の意思を継承して八幡城下に楽市楽座を開きました。そして、全長6キロメートルの運河・八幡堀(琵琶湖に通じています)を築き、当時の主要交通手段だった琵琶湖を往来する船を近江八幡に寄港させるなど次々と経済政策を推進していきました。こうした土壌と秀次の進取の精神が近江八幡の人々の商才を目覚めさせていったと言えます。

 しかし、八幡山の城自体は永くは続かず、築城からわずか10年後の1595年には廃城となり、関ヶ原の戦い(1600年)以降は天領(幕府が治める領地)となっています。城主を失った八幡町民は、めげることなく、活路を広域的な商いに求め、諸国に乗り出していきます。廃城が商人たちを目をより広い世界へ目覚めさせたとも言えます。また、廃城というピンチを大きなチャンスに変えています。八幡の城下で10年近く培った商才を、廃城という出来事をきっかけに他の諸国に向け大きくはばたいています。当時は、各地方が一つの国であり、現在に八幡堀遊歩道イメージ例えれば、国家という枠を超えて、グローバルな視点から商売をしていこうという動きと言えます。近江商人は、天秤棒を肩に、北は北海道から南ははるばる安南(ベトナム)、シャム(タイ)まで進出して、当時はまだ発展途上だった江戸にもいち早く店を出しています。今から400年余前に、全国展開のみならずアジア進出まで果たしたと言えます。

 今回、近江八幡市の旧市街地とも言える城下町界隈を歩いてきましたが、道路は碁盤の目状になっており、遠くまで見渡せるとともに、古い町並みも残っており、当時の面影が感じられました。当時の八幡の城下町は、琵琶湖へ通じる八幡堀をはさんで内側が武士の居住区、外側に町人の居住区というようにほぼ二分されていました。さらに町人の居住区は、西側に商業区、東北側に職人区というように分かれていました。上から3番目の画像は、その商業区のほぼ中心に位置する新町通りを八幡山を望むように写したものです。画像の左側に見える時代を感じさせる建物が、近江を代表する豪商の西川利右衛門家です。屋号を「大文字屋」と称し、蚊帳や畳表などを主に行商して財をなし、幕末においても江戸長者番付に名を連ねていました。現在は、昭和5年に11代徳淨が没し、後継者もなく廃絶しており、国の重要文化財として一般に公開されています。実際に西川家の中も覗いてきましたが、数々の珍しい所持品、建物の梁の太さ、京の都を感じさせるような庭園など当時の隆盛が偲ばれました。
 ここで近江商人の精神というべき、商(あきない)の道・商人道なるものを紹介します。商家それぞれには受け継いでいる家訓があり、先程の西川家では「人として正しい道徳を第一にすれば、商売は繁昌するものであり、財を大切にするならば、その財産に応じた人徳を磨かねばならない西川家商家イメージ」と明記しています。買い手よし、売り手よし、そして世間よしという“三方よし”という理念に基づき、売り惜しみや荒稼ぎなどは近江商人にとって邪道であり、誠実な商売を守り続けたようです。商売人が集まり、そしてそれぞれの商売人が切磋琢磨して生き抜いていく中では、売り惜しみや荒稼ぎなどしていては商売にならなかったのが現状であり、売り手買い手が互いに納得する値段と品質で勝負していったことと思います。西川家の家訓などを読みますと、文面から“がめつさ”というものは表面的には感じられませんが、やはり商売人である以上、物腰の柔らかさなどの心理的な戦略やいい意味での“したたかさ”は十分あったのではないかと思われます。

 近江商人の話はこのくらいにしまして、現在の近江八幡市のまちづくりの始まり・核とも言える“八幡堀”を紹介していきます。一番上の画像が、現在の八幡堀の姿、上から2番目の画像が、八幡堀沿いに整備されている遊歩道を写したものです。現在の八幡堀は、城下町当時の姿に戻っていますが、一時期は荒れ放題のドブ川と変り果てて、埋め立ててしまおうという計画も進んでいました。
 八幡堀がドブ川になるきっかけは、ほぼ30年おきに行われていた川ざらえが昭和に入ってすたれ、川底にヘドロがたまるようになったことにあります。もちろん生活排水による汚れも拍車をかけていました。1970年頃は、夏は悪臭が漂い、蚊やハエが大量に発生するやっかいものだったようです。そのような状況の中、住民側から埋め立て計画が持ち上がったのも当然と言えば当然と言えます。しかしそのような時、異を唱えたのが設立間もない近江八幡青年会議所(1967年設立)でした。近江八幡青年会議所が「堀は埋め立てられた瞬間から後悔が始まる」を合い言葉に、八幡堀をたんなる文化遺産として位置づけるのではなく、都市成立の医院風景イメージ基盤として捉え、さらに広く世界へ雄飛した近江商人の活動網の象徴とみなすという新しい価値観を提起したことが、八幡堀復活を求める署名運動につながっていきます。また、その当時の近江八幡青年会議所の主要メンバーだった川端五兵衛氏が、昨年(1998年)12月に初当選して、現在の近江八幡市長となっています。
 近江八幡青年会議所のメンバーは、毎週日曜日に船で八幡堀に入り自主清掃を行うなどの活動を続け、次第に参加者が増えていき、1975年には新たに「よみがえる近江八幡の会」も設立されています。その後、1988年には「八幡堀を守る会」が結成され、守る会では月2回の除草作業を行うなどの活動を続けています。

 現在の八幡堀は、一番上の画像からもおわかりいただけると思いますが、悪臭もなく、当時の商業が活発だった往時を偲ばせるように見事に復活しています。八幡堀の運河沿いには、散策路やステージのような空間などがあり、水辺空間を生かしたまちと知られるサンアントニオ(アメリカ)を彷彿とさせるものがありました。

 また近江八幡の城下町、古い町並み、八幡堀が現在まで失われずに当時の面影をとどめているのには、住民の方などの努力とともに、立地的な要素も後押ししています。明治以降、近江八幡の都市構造を決定づけたのは、1889年の湖東鉄道(現JR東海道本線)の開通でした。八幡駅(現JR近江八幡駅)は、市街地(現在の城下町界隈)から南に約2キロメートル離れた田園の真ん中に作られました。現在は、当時田園だった近江八幡駅周辺が、区画整理によって商業、官庁街など町の中心となっています。大きな都市化に流されることなく、城下町界隈が生き延びることができたのは、今になって考えれば、城下町界隈と近江八幡駅との微妙な位置関係が良い方向に働いたと言えます。

 今回、その他では八幡堀沿いにある「かわらミュージアム」も覗いてきました。瓦工場跡地に建設されたもので、特産の八幡瓦をはじめ、近江八幡の歴史・風土などを実物や写真などで紹介されていました。また、昼食は、おかみさんが“八幡堀を守る会”の事務局長をされている酒游館(西勝酒造)で、自家醸造の食前酒をいただくとともに、赤コンニャク、近江牛などの郷土料理を食べてきました。なかなか美味でした。酒游館は、創業280年の老舗で、西勝酒造が古い酒蔵を再生させて造った贅沢な空間が広がっています。多目的ホール、サロンなどもあり、地域文化の発信基地ともなっています。

 今、“癒し”という言葉がクローズアップされており、さまざまな癒しグッズや癒し空間が人気を集めています。今回、近江八幡の城下町界隈を巡ってみて、古い町並み、八幡堀の水辺空間などを眺めていますと“癒しのまち”という言葉がぴったりくるような風景が広がっています。紹介するのを忘れていましたが、おばあちゃんが入って行こうとしている上から4番目の画像は、周辺の景観とマッチした外観からは想像がつかないと思いますが、病院(医院)です。

 近江八幡市のまちづくりには、観光という面と住民の生活空間をバランスよくやっていこうという気概が感じられます。新聞紙上における近江八幡市長の言葉を拾ってみても、“そこに住む人が死に際にここに住んで良かったと思える町にしたい”“八幡堀の昔ながらの景色の復活・保存しようという運動は観光客を狙ったものではなく、経済都市の担い手だった近江商人の象徴を守るという過去から未来のまちを想像する作業”などとおっしゃっています。
 私が今まで視察に訪れた中では、福井県の大野市が観光と住民の生活という面でバランスがとれていたように思います。この観光と住民の生活空間という2面性を両立させていくには、絶妙なバランス感覚が大切であり、かなりの難しさを伴います。しかし、400年余前からグローバルな視点で生きてきた近江商人の気質を受け継ぐこの近江八幡市では、案外あっさりと両立させてしまうのかも知れません。今後、きれいになった八幡堀、古い町並みをさらにどのように生かしていくのか、これからの近江八幡市のまちづくりの方向性は、たいへん興味深いです。このような先行き不透明な時代だからこそ、近江商人の精神が生きるとともに求められているのだろうと思います。

 今回、近江八幡市を訪ねるにあたりまして、当方のメールマガジン「地域・まちづくり情報&コラム」をお読みいただいております“八幡堀を守る会”の会員でもいらっしゃいます竹山さんにご案内いただきました。最後に、紙面(ホームページ・メールマガジン上)を借りまして、お礼申し上げます。ありがとうございました。また、竹山さんが作成に携わっていらっしゃいます八幡堀のホームページは、Friends Circleリンク集で紹介してありますので、一度ご覧いただければと思います。

By Nagura

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