“水の町”郡上八幡を訪ねて (日本・岐阜)

視察日:1999年10月2日

 岐阜県のほぼ中央部に位置する郡上八幡(岐阜県郡上郡八幡町の人口:約1.8万人)を訪ねて参りました飛び込み新橋。郡上八幡へは、昨年から年1回開かれている“まちづくり交流フォーラム”に参加するために行ってきました。昨年は、愛知県で開かれ、今年は、岐阜県の各地で12月まで分散開催され、来年は三重県で開かれることになっています。まちづくり交流フォーラムの内容は、コラム「まちづくり交流フォーラム/岐阜に参加して」で紹介しております。よろしかったらご覧下さいませ。

 ここ郡上八幡では、明日(10月3日)から隣の大和町を皮切りに始まる「まちづくり交流フォーラム」のプレイベントとしてフィールドワーク&交流会が開かれました。イギリスで鉄道や自動車の発達によって使われなくなっていた運河を人々の憩いの場、観光の場として再開発した英国環境省のデレク・ゴウリングさんと一緒に郡上八幡のまちを見て回りました。このフィールドワークには、20数名の方が参加されていました。案内役には、八幡町の職員の方、郡上本染の職人の方、町民の有志で組織されているまちづくりグループ“さつき会”の方々が参加されていました。

 郡上八幡の町を3時間ほどかけて、皆でぞろぞろと途中でお茶しながらゆっくりと散策しました。フィールドワークには、さまざまな職業の方が参加されており、いろいろと情報交換もできました。郡上八幡の魅力を順次紹介していきますが、町を見て回ってまず感じたのが“まちが生きている”ということでした。抽象的な表現ですが、言葉を変えれば、歩いて楽しいまち、心地よいまち、自然に溶け込んでいるまちといったところでしょうか。

 郡上八幡の町は、歩いてゆっくりと散策するのに、ちょうど程よい広さ(エリア)です。立地的には、東西及び北の三方を山で囲まれ、町の中を吉田川と小水の流れイメージ駄良川、乙姫川が流れており、これらの川が町の西側で長良川に合流します。この河川と水を貯える山々が“水の町”と言われる由縁でもあります。また、ここ郡上八幡は、昔から東海地方と北陸地方を結ぶ道が開かれ、飛騨高山、金山、越前大野、白川郷および美濃各地に通じる交通の要衝として栄えてきました。

 さらに、郡上八幡の歴史的な背景を少し紐解きますと、今から400年ほど前(1559年)に、町の北東にある標高354メートルの積翠(せきすい)山頂に八幡の町が一望できる郡上八幡城が築かれました。城主遠藤盛数によって築城され、以後4家にわたってこの地が治められています。郡上八幡は城下町として発展してきており、郡上地方(奥美濃)の政治・経済・文化の中枢として独自の城下町の風情が、今の町並みにも色ごく残っているように感じます。

 郡上八幡と聞いて、まず皆さんが思い浮かべるのが夏の風物詩“徹夜おどり”ではないでしょうか。この郡上おどりは、7月上旬から9月はじめの間、約30夜にわたって踊り続けられ、旧盆(8月13日〜16日)の4日間は徹夜で踊り明かされます。「郡上のナァー八幡出てゆくときは、雨も降らぬに袖しぼる」の歌詞に代表される郡上おどりは、国の重要無形民族文化財に指定されています。郡上おどりの始まりは、一説には400年前にさかのぼると言われています。江戸時代のはじめ、郡上藩主の遠藤慶隆が庶民の心の安定をはかるために、踊りを盛んにしたと言われています。また、宝暦の百姓一揆の後、新藩主青山侯が士農工商の融和をはかるため、盆踊りを奨励したとも伝えられています。

 一番上の画像は、町の町並み路地風景中央部を流れる長良川のもっとも大きな支流の吉田川を写したものです。画像からも澄んだ流れがお分かりいただけるのではないでしょうか。夏には、子どもたちの水泳場になります。また、この新橋は、一つ上流側にある学校橋と並んで、子どもたちが飛び込みにチャレンジする場所でもあります。画像からもかなりの高さが伺えると思いますが、橋の欄干から川面を望みますと、正直なところ足がすくみます。この新橋は、学校橋よりも川面まで高く、15メートルほどあるようです。

 上から2番目、3番目の画像は、斎藤美術館、おもだか家民芸館、遊童館などが周りにある“やなか水のこみち”界隈を写したものです。町の各所には、このような水に親しむ空間(ポケットパーク)が見られます。また、町のそこかしこで、水が涌き出ており水飲み場(いつでも誰でも自由に飲める)があり、私自身3時間ほど町を巡っている間に、別々の場所で3回ほど飲みました。地元の小学生たちが、自転車を横につけて、水を飲んでいる光景は、子供たちにとって自然で生活の一部であるだけに、うらやましくもあり、微笑ましく見えました。喉が乾いたら、うまい水をただで思う存分飲める、さぞかし、ここのジュースなど自動販売機の売り上げは少ないことでしょう。
 郡上八幡には、全国名水百選の一番手として環境庁に指定(昭和60年)を受けたこんこんと涌き出る有名な泉“宗祇水(そうぎすい)”があります。宗祇水は、小駄良川が吉田川に交わる清水橋付近にあります。宗祇水という名の由来は、室町時代に武家歌人であった東常縁(とうつねより)から古今和歌集の伝授を受けるためにこの地を訪れた連歌の宗匠飯尾宗祇が草庵を結びこの清水を愛用したことから名が付いています。夏冷たく、冬温かい水は、今も昔と変わらず、町民の生活に大いに役立っているとともに、町のシンボルでもあります。(古今伝授は、一つの説として、隣の大和町で行われたと言われています)

 その夜は、八幡町の郊外にある町営サイクリングターミナルで泊まったのですが、ちょうど隣にある小学校の体育館では、地元の小学生から大人までが自ら演じる年1回の歌舞伎が行われていました。小学生の部、中学生の部、一般の部と分かれており、午後6時半から深夜の11時半過ぎあたりまで行われており、私は、最後の方を見たのですが、最後まで体育館は大勢の人で込み合っていました。いわゆる地歌舞伎(高雄歌舞伎)というもので、小さい頃から郷土芸能に触れる機会があることは素晴しいことと思います。また、この地歌舞伎を名古屋で公演しようと企画されていらっしゃる方も見えていました。

 郡上八幡は、今回初めて(実質的に)行きましたが、いい“まち”でした。以前にダイナランド、ひるがの高原(牧歌の里)、鷲ケ岳などのスキーに行く時に、郡上八幡を通っていましたが、早朝もしくは夜間に通りすぎることが多く、町並みを散策したことはありませんでした。(当時は東海北陸自動車道はこの辺りまで出来てなく国道156号線を通っていました)テレビで紹介されている映像や郡上八幡を舞台にしたドラマなどでそれなりに郡上八幡のイメージを持っていましたが、予想した以上に良かったです。
 今回、郡上八幡へは、長良川鉄道を使って自宅(愛知県安城市)から4時間ほどかけて行きましたが、のどかな風景が広がっており、道中そのものが旅でした。(帰りは岐阜県にお住まいの方に愛知県に近い鵜沼まで送っていただきましたが)郡上八幡の町を歩いていますと、そこかしこで風景画を描いている方々が多くいらっしゃいました。確かに、風情があり、絵になるような風景が広がっています。皆様方ものんびりと風景画を描きに行ったり、また、和歌などを詠みに行かれてはいかがでしょうか。

追記(2003年1月30日):夏の郡上八幡を紹介しました視察レポート「“おどり”“鮎”夏の郡上八幡を訪ねて」、冬の郡上八幡を紹介しました視察レポート“水の都”冬の郡上八幡を訪ねて」も併せてご覧下さいませ。

By Nagura

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