海老名市を訪ねて (日本・神奈川)

視察日:1999年10月5日

 神奈川県海老名市(人口:約11.5万人)を訪ねて参りました。今回、新宿駅(東京)から小田急海老名駅前公園を使って行きましたが、1時間ほどで海老名駅に着きました。海老名市へは、小田急小田原線、相模鉄道、JR相模線の鉄道3線が連結しています。相模鉄道を使えば横浜まで乗り換えなく出ることができ、小田急で首都圏までも1時間圏内という非常に便利な立地にあります。
 また、海老名駅の一日の乗降客数は、約29万人にものぼっています。海老名市の人口の2倍以上の方々が利用していることは驚きと言えます。東京、横浜という超大都市圏を二つも近くに抱えた都市ならではの構造と言えます。東京近郊含めた関東圏の人口は、関西圏の約2倍、名古屋圏から見れば約4倍にあたります。海老名市は、それだけの人口を抱えたベットタウンの都市と言えます。名古屋圏あたりですと、鉄道を使って1時間ほど移動すれば、名古屋から豊橋まで行くことができます。中には、通勤している人もいますが、一般的に見れば、名古屋から30分〜40分のところにベットタウンが広がっています。それだけ、関東圏との違いが見られます。

 今回、海老名市内をぐるっと回りましたが、正直なところ、イメージがつかみにくい、というか捉えどころがないという印象をまず受けました。今まで、いろいろな都市、まちなどを見てきましたが、往々にそのまちの核というものが見つかり、そのまちの核を広げて見て行くことで、全体像のイメージがつかめたものです。

 海老名市の場合、不思議な空間といった感じを受けました。海老名市の視察(3〜4時間ほどの視察ですが)を終わって海老名駅を後にした時点では、まちとしてのイメージがつかみきれず、帰ってから頭の中を整理する国分寺跡と高層ビルのに、2日〜3日ほどかかりました。海老名駅を大勢の人が利用しており、市内の道も渋滞しているのにもかかわらず、人は多いが“まち”という存在感が薄いように感じました。
 海老名駅界隈の中心市街地は、ベットタウンということもあってか、とにかく駐車場が目につきました。しかし、少し郊外行くだけで、豊かな田園風景が広がっています。そして、文化的な史跡もあります。このあたりが、不思議な空間と感じた由縁でもあります。中心市街地の駐車場等の利用は別にしても、海老名市内を一つ一つ見ていきますと、魅力的なポイント、魅力的な風景がけっこうあります。しかし、その一つ一つが“点”として存在しており、“線”“面”としてつながっていないところが、捉えどころがなく映ったものと思われます。“線”“面”としてつながっていくことで、海老名市の核となるものが形づくられていくことと思います。

 魅力的なポイント、魅力的な風景を紹介する前に、現在の海老名駅界隈の中心市街地の様子を紹介します。海老名市では、今春(1999年3月)中心市街地活性化の基本計画が策定され、今後、TMO(タウンマネジメント機関)の組織が図られ、ハード面、ソフト面の両面から整備が進められていくものと思われます。5年後、10年後には大きく変わっていることと思いますが、その時に海老名市のまちを見るのを楽しみにしつつ、どのように変わったか見るためにも、現状を少し述べていきます。

 上から2番目の画像は、後ほど紹介しますが相模国分寺跡を写したものです。その画像の奥に見える高層ビル(海老名プライムタワー)の24階からまち全体を見渡してきました。海老名駅界隈の中心市街地の眺めは、実際に地上でまちを回っている時は、駐車場が多いと思った程度ですが、上田園風景かかしから一望しますと駐車場の占めている割合の多さに驚きました。郊外に目を向けると田園が広がり、山々が望め、本当に自然豊かな“まち”だけに、郊外と中心市街地のギャップが大きさにショックを受けました。また、ここへ来る3日ほど前に“まちが生きている”と感じた岐阜県の郡上八幡を見ているだけに、海老名市の駅界隈の中心市街地に関しては“まちが泣いている”ような感覚を覚えました。
 郊外の自然に比べ、市街地の緑が少ないため、
例えは変ですが、人工的な都市として、砂漠の中に出現したエンターテイメントの都市・ラスベガスのようなイメージやアメリカの超大型の商業施設のモール・オブ・アメリカの駐車場を連想させました。ここの場合、周りは砂漠ではなく、田園ですが・・・。これだけの駐車場の多さは、海老名駅の乗降客の多さに比例して、通過客の多さを伺わせます。しかし、逆に土地的には、更地の未利用・低利用の駐車場が多く、これからどんな形にも変えられる柔軟性はあります。

 上から3番目の画像は、郊外の豊かな田園風景を写したものです。少し見えにくいですが、遠くにかかしが20体ほどたっています。私の住んでいる愛知県安城市でもこのような田園風景が一面に広がっています。昨年地元で行われた安城風景づくり市民フォーラムにおいては、市民からまちの好きな風景として“田園風景”が多く挙げられました。ここ海老名市の市民の方も、さぞかし、まちの原風景として“田園風景”を誇りに思っていることと思います。海老名市は、伝統的な米の他に、いちご、なし、メロン、トマト、じゃがいもといった農作物、さらに豚肉や地酒など豊富な地です。

 上から2番目の画像に写っている相模国分寺跡は、現在土台(盛り土)部分が残っているだけで、画像の中で野球をしている姿が見られますが、子供たちの遊び場となっています。相模国分寺は、天平13年(741年)に建立された寺で、七重の塔を持つ法隆寺式の大規模建築で、この国分寺を中心に相模の国は栄えていました。この七重の塔のミニチュア版が海老名駅前の公園内にあります。一番上の画像が、その公園を写したものですが、小さくですが、遠くに七重の塔が望めると思います。大化の改新(645年)の後、律令国家の確立にともない、相模の国は大和朝廷に服属し、この海老名にも条里制が敷かれ、最初の東海道が通りました。さらに、奈良時代(710年〜)に入ると、海老名に相模の国府(現在の県庁にあたる)が置かれ、そのシンボルである国分寺が建てられたわけです。この時代、まさに海老名は相模の国の中心地だったわけです。かつて、海老名が相模国の中心地だったという気概は、風土的なものや人々の心の中に脈々と現代に引き継がれていることと思います。

 今までは、人口の規模で都市の格付けを行ってきた面が多々ありますが、これからは、都市そのものの人口ではなく、その“まち”を訪れる交流人口でみていこうと動きがあります。単純に駅の乗降客数が多いとか、夜間人口より昼間人口の方が多いなどのデータでは、把握しにくい“交流(コミュニティー)”というかちょっと立ち寄る魅力の充実がより求められています。海老名市の場合、海老名駅の乗降客数が多いという素地があるだけに、現在の通過客をちょっと立ち寄らせる魅力を発見・提供するという発想でもっていけば、ガラッと“まち”が変わると思います。豊臣秀吉の一夜にして作り上げた墨俣城ではありませんが、一瞬にして、海老名の中心市街地が魅力的に変わる可能性を秘めています。住民、NPOなどの各種団体と自治体が協働して、より快適なまちへと歩んでいって欲しいものです。

 今回、海老名市を訪ねるにあたりまして、当方のメールマガジン「地域・まちづくり情報&コラム」をお読みいただいております海老名市在住の稲垣さんにご案内いただきました。最後に、紙面(ホームページ・メールマガジン上)を借りまして、お礼申し上げます。ありがとうございました。また、稲垣さんは、海老名市が設置した総合計画市民策定チームに選任され、1年余にわたる活動を通して、今秋に提言書をまとめられた方でもあります。まちづくりに関する造詣が深い方でした。

By Nagura

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