中心市街地活性化フォーラムに参加して

記:2000.12.3

 3年前から開催されている“まちづくり交流フォーラム”に参加して参りました。開催会場が、第1回目が愛知県、第2回目が岐阜県で中心市街地フォーラム風景行われ、今回が締めくくりとも言える第3回目が三重県の各会場で行われています。今回、三重県名張市で行われました第15分科会の「中心市街地活性化フォーラム」に参加して参りました。視察レポート上「名張藤堂家のふるさと名張市を訪ねて」で、名張市の歴史等を紹介しておりますので、併せてご覧いただけましたらと思います。

 中心市街地活性化フォーラムは、午前中、古い町並み等のフィールドワークが行われ、午後からパネルディスカッションが行われました。パネラーには、地元でまちづくりに携わっている名張シンクスはじめ、三重県庁、愛知県西尾市、静岡県静岡市、三重県上野市などからまちづくりに携わっていらっしゃる方が招かれていました。

 パネルディスカッションでは、名張市のまちづくりの現状、問題点、今後の方向性等について、議論が交わされました。まず、名張市の概要をおおまかに説明しますと、近鉄で大阪の都心部まで1時間という距離にあり、戦後、大阪のベットタウンとして急速に発展していきます。昭和40年前後から新興住宅団地の造成が始まり、現在名張市の人口は約8万5千人ですが、そのうちの約5万5千人が特に大阪関西圏から転入して住みはじめた方です。比率をみますと、なんと、市人口の65%が転入されてきた方という数値となります。統計によりますと、昭和45年から平成8年の26年間に人口が約5万3百人増えています。ここ数年は、都市部の地価が下がり、都市回帰の動きも起こっており、人口増加は微増となっています。商業動向も昭和60年頃から全国展開するフランチャイズチェーン店や郊外型大型店舗資本が続々と入ってきています。

 今回のパネルディスカッションの論点は、どこの地域においても共通したものと思われますが、タイトル通り如何に中心市街地に多くの方を呼び込んで、コミュニケーション等高めて、活性化を図っていくかという点で議論が交わされました。議論の中では、参加されていた市民の方からも厳しい意見・要望等も出されました。
 まず、名張市において、取り上げられたのが、新住民と旧住民の中心市街地に対する認識の違いという点です。他の都市でも、見られることですが、ここでは、さきほど数値であげましたように65%が新住民と顕著な差となっています。新住民が郊外で買い物されているケースが多く中心市街地に足を運んでいただける機会が少ないなど現状の声が聞かれました。

 住民サイドからは、現在の中心市街地は高齢者が多くなっているが、せっかく名張市に福祉系の学部を持つ皇学館大学(平成10年4月に市と県の支援による公私協力方式で社会福祉学部が開校)があるのだから、中心市街地を学生の生きた勉学の場としてもっていったらどうかという意見や、今回のフォーラムには、商業者の方が中心となった市民も含めたシンクタンク組織の名張シンクスが参加しているが、商工会議所や市や青年会議所(JC)など同様にそれぞれまちづくりの青写真は持っているが、互いに手をとりあってやっていこうというパートナーシップ(連携)がなされていないのが現状ではないだろうかという厳しい意見も出されました。

 今回、中心市街地活性化フォーラムに参加して、やはり昔から住んでいらっしゃる方と新しく転入され住まわれている方の共通のフィールドの場を創出していくことの大切さがあらためて再認識された次第です。昨年の岐阜県で行われたまちづくりフォーラムの中において、印象深く残っているのが、三重県桑名市の職員の方が話されたことで、桑名市は名古屋からの転入が多く、転入された方がもともと古くから住まわれている方も巻き込んで交流の輪が広がっているという事例です。
 また、今回市民の方から大学生の生きた勉学の場として大学と交流を深めていったらどうだろうかという観点では、静岡市でまちづくりに携わっていらっしゃる方が、大学側も今は生き残りをかけている中、よろこんでそのような提案に乗っていただけるのではないかというアドバイスがあったが、今回参加されている多くの方は、大学に対し、敷居が高いとか保守的で声を掛けづらいというイメージを持たれているように感じました。

 今回のフォーラムでは、具体的に名張市をどうしていこうというところまでは進みませんでしたが、市民と中心市街地でまちづくりを考えて行こうというシンクタンクの間においては、互いの認識が深まったものと思われます。これからの名張市のまちづくりがどのように展開していくのか楽しみなところです。

 最後に、先日東北(山形市)を訪ねて参りましたが、今回の新住民と旧住民の共通のフィールドの場を創出そして大学との連携という点で、考え方として、参考になるのではないかと思い、山形市にある東北芸術工科大学・東北文化研究センター所長の赤坂憲雄氏が構築に努めていらっしゃる“東北学”を紹介して締めくくりたいと思います。

 “東北学”は、新聞等でもよく取り上げられいますので、ご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。“東北学”とは、いわゆる地域学です。背景には、1万7千年前くらいから日本列島には固有の地域文化、つまり「いくつもの日本」があったのが、弥生時代になると、地域文化の上に稲作を中心とする社会経済の仕組みや価値観がかぶさって「ひとつの日本」に収れんされていく動きが始まり、地域性が少しずつ見えにくくなってきて、近代になると欧米列強の圧力のなかで、「国民国家としての日本」が立ち上がり、文化的にも均質化が進み「いくつもの日本」がさらに見えなくなってしまったという捉え方があります。今、まさに再び“固有の地域文化”を掘り起こそうという動きです。
 また、大学と地域のかかわりについては、「大きな目でみると、大学が地域に開かれていく流れはもう止められないだろう。地域の文化や経済にかかわることは、大学の生き残り戦略の基本になりつつあるし、大学が地域に向けて開かれ、ある種のシンクタンクとしての機能を果たさざるをえない時代なのだと思う」と述べています。

 東北学が盛り上がりを見せていますが、ここ名張市においても、地元の大学と連携して名張の地域資源を掘り起こす“名張学(伊賀学)”なるものを立ち上げて、新住民と旧住民および学生が同じフィールドで活動する場を創出していくことも一つの方法ではないかと思います。“名張学(伊賀学)”なる地域資源の掘り起こしが、大学、商業者・住民、行政の間におけるコミュニケーションの掘り起こしにつながっていくことと思います。

By Nagura

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