古代に思いはせる・飛鳥時代の日本庭園

記:1999.6.23

 飛鳥時代の大規模な日本最初の宮殿付属の園池(えんち)跡が奈良県明日香村で見つかったというニュース(6月14日発表)は、まだ、皆さんの記憶にも新しいことと思います。柿本人麻呂や天武天明治用水水辺空間皇らの万葉歌人が活躍した時代であり、舞台でもあります。
 天武天皇(在位673年〜686年)が即位した飛鳥京(飛鳥浄御原宮)の宮廷庭園である可能性がきわめて高く、これまでに見つかっている宮廷庭園は奈良時代のものが最古で、今回の「飛鳥京庭園」はさらに数十年さかのぼると言われています。飛鳥京とは、6世紀末の推古朝から7世紀末の天武朝にかけて、飛鳥地方(現奈良県明日香村)に諸天皇の宮殿が置かれた都の総称をさします。

 今回見つかった数千平方メートルの広さと見られる池には、底に石が敷き詰められており、流水装置や中島、池に突き出た涼み床などが設けられていた跡が見つかっています。当時の朝鮮半島の文化の影響を受けて築かれており、日本庭園の原形ではないかと見られています。当時の首都・飛鳥の風景を考える上でも貴重な発見と言えます。

 キトラ古墳に描かれていた精密な古代の天文図や日本最古の通貨と見られる「富本銭」など、古代に思いをはせる発見がここのところ相次いでいます。考古学的な観点から非常に重要な発見であるとともに、私を含め一般の人々にとっても、日本庭園のルーツ、日本そのもののルーツを探る意味でも非常に興味がそそられるのではないでしょうか。
 実際に、先日(6月19日〜20日)行われました「飛鳥京庭園」の現地説明会には、小雨まじりの中、開園前に既に約60人の行列ができ、最初の1時間だけで700人を超える人が訪れたそうです。前日から雨が降っており、池跡にも少し水が溜まり、雨に煙る庭園の眺めは、一段と当時の面影が感じられ、さぞかし風流な趣が感じられたことと思います。

 飛鳥京庭園は、風流、栄華という観点からだけでなく、技術的観点からも目を見張るものがあります。以前、私は機械設計の技術者をやっていたこともあり、ついつい目がいってしまいます。噴水台のような役割をしたと思われる流水装置は、3段式で花こう岩から造られています。まず、石の水槽に水を溜めて、溝、くぼみ、穴などをつけた傾斜のついた2つの石を組み合わせて、池へ噴水のように注ぎ込ませる仕組みだったと見られています。先端の噴水台のような石には、上部と横の3方に穴が開いています。これには、巧妙なからくりがあり、横の穴から入った水がもう一方の穴から出る際、上の穴から入ってくる空気をうまく巻き込んで白く泡立たせ、遠くからでもよく見える効果を狙ったのではないかと推測されています。池の深さは推定で約60センチメートルで、舟遊びもでき、涼み床や中島では宴会をし、東に飛鳥京宮殿、北に飛鳥寺などが見える壮麗な光景だったと推測されています。
 この3段式の流水装置は、基本的な構造は渡来してきた技術と思われていますが、階段式に水が落ちて、最後に池へ注ぐ流水の仕掛けは中国にもなく、飛鳥の人々の独創という見方もされています。

 飛鳥京には、壮大な宮殿や寺院など人工的な建物が数多くあった中で、その時代から自然の景観を取り込んだ園池があったことは大変興味深いと思います。日本ならではの“わび”“さび”の世界、現代に続く日本庭園の世界は、しっかりと引き継がれているように感じます。今、ガーデニングがブームですが、日本ならではの日本庭園というのは、より自然に近く、より自然に溶け込み、より自然と一体感を醸し出しているように思います。
 先日、3日間に渡って中国の敦煌・シルクロードの様子を伝えるテレビ番組を見ておりまして、宇宙など未知へのロマンもいいですが、古代へ思いをはせる考古学へのロマンもまた乙なものと感じた次第です。さまざまな推測・憶測の中から真実を導き出していく流れ(作業)には、興味を引かれるものがあります。

 最後になりましたが、一番上の画像は、江戸時代の東海道五十三次の39番目の宿場町と栄えた池鯉鮒(ちりふ)宿(現愛知県知立市)にあたる「かきつばた」の水辺空間を写したものです。5月には、鮮やかな紫色の花が、行き交う人々を楽しめます。

By Nagura

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