大空に浮かぶ船“飛行船”について考察する

記:2004.5.5

 皆さんは、人が乗ることができるいわゆる遊覧飛行ができる旅客飛行船がかつて大西洋横断定期航路で就航していたことを飛行船イメージご存知でしょうか。飛行船というと、東京ドームで見られる飛行船やコンサート、イベント会場などで見られる飛行船など、演出効果や広告宣伝の飛行船を思い浮かべるのではないでしょうか。

 21世紀を迎え、日本の空に人が乗れる飛行船を復活させ、そして定着させて事業展開を夢みて、立ち上がった会社が名古屋にあります。その会社は、2年前(2002年3月)に設立された「株式会社 日本飛行船」で、今回、その会社の代表取締役である渡邊裕之さんのお話を聞くことができました。名古屋の異業種交流会TMCが主催した「次世代のリーダーが新ビジョンを語る」というフォーラムで聞いて参りました。今回のコラムは、日本飛行船の渡邊社長の話を交えながら、飛行船というものを考えていきたいと思います。

 まず、渡邊社長の夢(ビジョン)を語る前に、飛行船の歴史を紐解いていきたいと思います。1873年、フランスのモンゴルフィエ兄弟のバルーンの浮揚実験をはじめたことが、飛行船誕生のもとになったようです。そして、19世紀に入ると、バルーンにエンジンをつけた飛行船が登場し、人類初の飛行となりました。

 我が国でも1877年、陸海軍および工部大学が、日本で初めて係留バルーンを浮揚させ、日本人の搭乗はこれが最初で、200メートル上昇という快挙を成し遂げました。その頃、ドイツではツェッペリン伯爵が何度もドイツ政府に飛行船の建造計画を進言し、そしてまもなく20世紀を迎える1894年に飛行船の設計が完了し、1900年7月のまさに世紀の変わり目に初飛行となりました。

 1920年代〜30年代には、空飛ぶ飛行客船ともいうべき大型飛行船が大西洋横断定期航路が就航し、全盛期でした。飛行船上からパノラマの眺望を楽しみつつグランドピアノの演奏を聴き、ダイニングでフルコースのディナーを味わい、自分の客室でゆったりとベッドに眠るといった旅を楽しんでいました。大西洋は2日半、太平洋は3日で横断でき、平均速力75ノット(時速140キロ)、航続距離は1万8千キロを誇っていました。今から、70数年前には、こういう空飛ぶ客船の旅が実際に存在し、通算6万1千人もの人を運んでいました。乗客20名を載せた豪華客船で世界一周を成し遂げたツェッペリン伯号は、美しいオーロラやシベリアの大自然、そして大都市ニューヨークなど、ゆったりした速度で大パノラマを楽しむことができました。

 ゆったりした移動の時代から、航空機の発達で移動も早くなり、次第に飛行船の影が薄くなっていきました。また、1936年に建造された大型飛行船「ヒンデンブルグ」号が57回目の飛行で炎上という大惨事を起こしたことがよく引き合いに出されます。当時のアルミ塗料の成分が発火原因となり、それが内部の水素ガスに燃え移ったことが炎上につながりました。1937年の事故当時は大惨事となり、乗員・乗客97名中62名が生存しており、現代の航空機事故と比較すると64%という高い生存率となっています。飛行船の場合、地上激突型の墜落ではないため、死亡原因もやけどによるものでした。ちなみに、現在の飛行船は、安全な塗料と不燃性のヘリウムガスを使用していますので爆発炎上の心配はありません。

 それでは、株式会社日本飛行船の代表取締役である渡邊裕之さんの経歴についてみていきます。たいへんユニークな経歴をお持ちで、子供の頃の夢の実現に向けてまさに歩んでいらっしゃる方です。今回のフォーラムのテーマは「次世代のリーダーが新ビジョンを語る」で、夢を思い続けて、努力し続ければ、叶うということを実践されていらっしゃいます。

 渡邊さんは今47歳で、飛行船に興味を持ったのは、小学校5年生の時に、飛行船「日立キドカラー号」をみたのが始まりだそうです。子供の頃から海や空に強い憧れを抱いていたそうです。そして、大学時代に環境問題に強い関心を持ち、「これからは環境への負荷が少ない飛行船の時代だ。自分は飛行船に関した仕事に就こう」と思ったそうです。当時は、飛行船会社は日本になく、もっとも近い船の会社である商船三井に入社しました。

 そして、入社して7年後にチャンスが巡ってきました。商船三井が渡邊さんの意向を受け入れて、飛行船会社を設立しました。渡邊さんは、飛行船プロジェクトチームのリーダー兼業務部長代理という肩書きで、新しく生まれた「M.O.Airship」という会社に出向しました。しかし、「M.O.Airship」は、広告宣伝用の飛行船ビジネスを行っていましたが、わずか3年で業務不振のために整理されてしまいました。

 そのような状況のなかでも、渡邊さんは、そこでへこたれずに飛行船への強い思いを持ち続けました。そうしたら、ちょうどそんなとき、「ドイツの飛行船会社が作ったツェッペリンNT(ニューテクノロジー)号という飛行船を、2005年の愛・地球博・愛知万博(2005年3月25日から9月25日まで愛知県界隈で開催される国際博覧会)のPR用に日本で飛ばそうという計画が持ち上がりました。そのための会社として株式会社日本飛行船が設立され、渡邊さんへ参画の要請がきました。商船三井を辞めることへの不安や迷いがあったそうですが、やはり飛行船への夢は捨てきれず、商船三井を退職して、運航担当役員として日本飛行船という会社に入りました。そして、半年後に、代表取締役社長に就任して現在に至っています。

 ツェッペリンNT号は、1993年に復活したツェッペリン飛行船技術会社が、新型飛行船に着手して完成させたもので、ドイツでは2001年8月から商業観光遊覧飛行が始まっています。冬は運休していますが、今までに3万6千人もの人が搭乗するなど大人気で、先行き1万人の予約が入っているそうです。ドイツでは、日本より人足先に、21世紀のライフスタイルを象徴する飛行船が飛んでいます。ツェッペリンNT号の概要は、長さ75メートル、高さ17.4メートル、最大幅19.5メートル、乗客数14名(内乗員2名)、最大飛行速度125キロ、航続可能距離900キロ、上昇限度2600メートル、最大航続時間24時間となっています。

 渡邊さんの会社の最初の事業は、愛知万博で飛ばすことですが、最終目標は、豪華飛行船を現代のテクノロジーで復活させることを掲げています。現在の素材とテクノロジーを組み合わせて再建造したら、当時とは比較にならないほど安全で高性能な大型飛行客船ができるという発想です。具体的に記載しますと、高分子化学がもたらした炭素繊維や最先端の軽合金など、軽量・強靱な材料を用い、コンピューターで精度の高い強度計算を行って、最新の航法・気象・通信システムを搭載しようというものです。また、既存の小型高性能のディーゼルエンジンや航空機用ガソリンエンジンに留まらず、将来的にはハイブリッド・システムや太陽電池、燃料電池を組み合わせることにより、究極的には無公害な空の乗り物になりえます。

 今回、渡邊さんの飛行船への思いとともに、飛行船についてみてきましたが、20世紀の原理はスピードの時代でしたが、21世紀を迎え、環境問題などクローズアップされてきて、スピード一辺倒からゆったりしたもの、安心できるものなどへ振り子が戻ろうとしています。空気もあまり汚さずに、ゆったりできる乗り物として、飛行船の復活の機は熟しているような感じがします。飛行船に夢を拓して、日本で飛行船が飛べる環境づくりを応援する「飛行船サポーターズクラブ」も出来ています。呼びかけ人には、みのもんた、小松左京、星野仙一、桂三枝など蒼々たるメンバーが名を連ねています。既に、第一期定員募集は、定員に達して終了しており、第二次募集を今後行う予定です。

 今回のコラムでは、観光遊覧という視点からの飛行船の復活の動きをみてきましたが、飛行船には冒頭で紹介しました広告・宣伝用途以外に、災害時の情報・通信中継局、警備や警戒行動、資源探査・航空測量・地雷探査、貨物輸送、地方空港間のコミューター飛行船などにも活用できます。今、飛行船が脚光を浴びつつあるのは、上記で示しました21世紀を迎え、環境面、ゆったり感などとともに、安全性が高まっている点が挙げられます。文中でも述べましたが、1937年の不運な大型飛行船「ヒンデンブルグ」号の炎上事故による安全性に対する不信感が取り除かれつつあります。

 安全性、そして快適性が増したニューテクノロジーが満載されたその名の通りツェッペリンNT(ニューテクノロジー)号が愛知万博で日本の空を飛ぶのも、もうまもなくです。愛知万博では、マンモスが目玉として注目されていますが、飛行船にも注目されて、今後の日本で定着していくか、みて頂きたいと思っております。

By Nagura

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