歴史を刻む“舞妓・芸妓文化”を考える

記:2003.12.1

 今回のコラムでは、日本の文化とも言える“舞妓・芸妓文化”を考察していきます。私の住んでいる愛知県安城市には、100舞妓さん年程の歴史を刻む芸妓文化が今も生き続けています。また、先日、国際観光を考える異業種の集まりで、京都のお茶屋さんに舞妓さんの取材に行ってきました。安城の芸妓文化および京都の舞妓さんの話題を主に紹介していきます。

 それではまず、愛知県安城市の芸妓文化をみていきます。最初に、安城で芸妓文化が育まれた背景を紐解いていきます。江戸時代の現在の安城市界隈は、東海道の宿場町として栄えた隣の知立市とは違い、原野で村もまばらだったようです。一面の松原であった安城の地が大きく発展していく礎になったのが、明治用水の開通です。それが、今から122年前の明治13年で、その11年後に今のJR安城駅が開設されると、安城に新しく街が起こり、街の一要素としての“花街”も発展していきます。

 明治用水の開通により、荒れ果てた原野だった安城が豊かな田園風景へと変わっていき、その中でも先進的な多角的農業が全国的に注目を浴びていきます。明治用水開通から50年ほど後の大正末期から昭和初期にかけて、農業先進地として安城は“日本デンマーク”と呼ばれて全国や海外から視察が相次ぎ、その接待のために芸妓さんも多かったということです。その当時は、今と違って交通手段も発達しておらず、安城はもともと風光明美な観光地でもなく、テレビなどの娯楽が少ない時代で、日帰りできないお客さんのおもてなしとして「歌舞音曲」となったようです。要するに、芸妓さんは視察に来るお客さんをもてなす重要な役割を担っていたということです。ちなみに、その当時の花代(芸妓さんの料金)は、一席1円50銭くらいだったそうです。

 100年程の歴史を刻む芸妓文化は、“安城らしさ”のひとつと言えますが、50年前の1950年代には100人いた芸妓さんの数は減り続け、今では、安城に芸妓さんがいることすら知らない市民が多くなっています。芸妓さんの数が減った要因には、視察する人が減り需要が減ったことと、芸妓さんへの成り手が減ったことが挙げられます。1980年代には、15人まで激減しましたが、その後、思いきった改革が行われ、全盛期の勢いには及びませんが現在29人の芸妓さんがいます。全国的に芸妓さんの高齢化が悩みの中、安城では29人中12人が20代と若い方も入ってきています。さらに、昨年(2002年)11月には、追い風となる芸妓文化を守る会「安城芸妓文化振興会・笑美素(えびす)会」が立ち上がりました。また、料亭もコンパニオンなどを極力入れないようにして芸妓文化を守ろうとしています。

 上記の思いきった改革を少し紹介しますと、大きく“しきたりの廃止”と“新システムの導入”です。寝食をともにして稽古・修行を積むという従来のしきたりの住み込みを廃止して、自宅通勤を認めました。そして、新システムの導入として、アルバイト制の導入を図り、アルバイトをきっかけとしてこの道へのとっかかりをつけました。安城に20代の芸妓さんが多いのもこのシステムの成果とも言えます。また、5年以上勤めれば置屋を起こし独立できる独立システムをつくりました。独立すれば、着物の着付けからスケジュール管理まで一人でこなさなければなりませんが、収入は増えます。

 現代感覚にあった芸妓さんにとって働きやすい環境へ思いきった改革を図ったあたりは、かつて“日本デンマーク”として先進的な農業として名をとどろかせた風土ともいうべき先人の進取の気風とたゆまぬ努力が受け継がれてい舞妓さんの舞いるように思います。今、安城のまちは、安城に残った芸妓文化をまちの財産として、次の世代に伝えていこうとしています。このような流れが、文化意識の高い市民を育んでいくのだろうと思います。

 安城の芸妓さんの話題が大分長くなりましたが、次に京都の舞妓さんの話題に移ります。舞妓さんより京都弁の“舞妓はん”の方がしっくりいくかも知れません。一番上の画像と上から2番目の画像は、舞妓はんを写したものです。画像の舞妓はんは、デビューしたばかりの16歳でただ今売り出し中の佳つ力(かつりき)さんです。あでやかな姿、おしとやかな雰囲気の舞妓はんがご覧いただけると思います。

 先程は、芸妓さんの話題を出しましたが、舞妓はんは、20歳までで、21歳で襟替えをして芸妓はんになります。今年(2003年)7月に出版されてベストセラーになっている岩崎峰子さん著の「祇園の教訓」を読まれた方は、舞妓・芸妓はんの花柳界の世界が紹介されており、その世界を垣間見られたことと思います。著者の岩崎さんは、舞妓・芸妓はんをされた方で、今は引退されてますが、書籍「祇園の教訓」は、世界13カ国で出版され、イギリス、アメリカ、フランスなどでもベストセラーになっています。また、岩崎さんは、世界各国をまわって、世界中の方に、舞妓・芸妓はんの花柳界を伝えています。日本人の生き方、考え方、舞妓・芸妓のプロフェッショナルとしての仕事が、国や人種を越えて、共感を持って受け入れられているようです。

 京都では、京都を代表する舞妓はんに変身して、体験できる場もあり、京都観光で舞妓はん体験された女性の方もいらっしゃるのではないでしょうか。舞妓着付け、写真撮影メニューから、さらに、1時間程度の外出と人力車のサービスメニューまで揃っています。京都観光の思い出になることと思います。

 今回、舞妓はんとお茶屋さんの女将さんにお話を伺いました。かつては、舞妓はんというと地元・京都の子が舞の世界に入っていくのが常でありましたが、今では全国から舞妓はんに憧れて、舞の世界に魅せられてくる子が多いそうです。京都府以外から中学校を卒業して、舞妓はんに憧れて入ってきて、京都弁の言葉の習得含め、稽古、生活習慣の修行を積んでデビューしていきます。伝統を背負いつつ、接客業のプロフェッショナルを目指す修行だけに厳しい世界であることは確かです。そのような厳しい世界のなか、舞妓はんの佳つ力(かつりき)さんご本人にいろいろ伺いましたが、好きな世界だけに前向きな生き生きとした姿が印象的に残りました。また、グルメ、おしゃれなどの話は、16歳らしい、清々しい一面も垣間見れました。

 今回のコラムでは、日本の伝統文化の一つである舞妓はん(さん)、芸妓はん(さん)を紹介してきました。京都の長い歴史に根付いた舞妓・芸妓はんの花柳界、そして安城の先進的な農業文化が育んだとも言える芸妓さん文化、どちらも“地の文化”を大切に継続して、次の世代に引き継いでいます。ある意味、金でまみれたバブルが弾け、お茶屋さんや料亭などの経営はけっして楽ではなく、それに伴い舞妓はん(さん)、芸妓はん(さん)の活躍の場も楽ではないとは言え、今こそが、本来の日本文化を再認識し、再構築していく時のように感じます。再構築には、これまでのしきたりを根底におきつつ、現代の環境に合った安城で見られた思いきった改革も必要になってくると思います。皆さんも、ご自身がお住まいの地域の文化、風土を見つめ直してみてはいかがでしょうか。そこに、次の世代を見据えた“まちづくり”のヒントが隠れていることと思います。また、舞妓さん取材とともに、行ってきました祇園・高台寺・清水寺界隈を視察レポート「京都(祇園から清水寺界隈)を訪ねて」で紹介していますので、合わせてご覧頂けましたらと思います。

By Nagura

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