アトランタの街並み (アメリカ・ジョージア州)

視察日:1999年2月13日〜15日

 今回ニューヨークからアトランタへと南へ向かっていきましたから、さぞかしアトランタは暖かいだろうと思っていましたが、ニューヨークほどではないですが、朝アトランタイメージ晩はけっこう冷えました。昼間は暖かいのですが、やはり南部と言えども、冬には変わりないといったところです。

 アメリカ南部の都市へは、以前もっと南にあたるメキシコ国境に近いテキサス州にあるサンアントニオに行ったことがありますが、いかにもラテンという陽気な雰囲気が今でも印象に残っています。今回、アトランタ市内をぐるっと廻ってみて、人の良さというか外来者をもてなす温かさ、親切さというものを感じました。

 アトランタは、1996年のアトランタオリンピックで脚光を浴び、一躍有名になりましたが、観光都市というよりも、ビジネス拠点として飛躍・躍進を遂げている都市と言えます。アトランタ空港の乗降客数は、世界的にみてもベスト5に入るほど利用客が多く、交通の要衝となっており、大コンベンションセンターとしての地理的ポジションを確立しています。行った時も、“THE SUPER SHOW”なるスポーツの見本市をやっており、ちらほら日本人も見られ、ダウンタウンの飲食店などは込み合っていました。
 ダウンタウンには、近代的な高層ビルが林立しておりとても人口43万人の都市とは思えないほどです。しかし、少し郊外に行けば、古い街並み、教会などがところどころに見られ、変貌を遂げている中にも古い南部のイメージが残っており、何とも言えない不思議な魅力を持っている街です。また、このアトランタという地は、アメリカの歴史上のそれぞれの時代における転換期にかかわってきています。後ほどアメリカの歴史含めアトランタの歴史を紐といていきます。

 今回アトランタにおいては、視察ツアーそのものは郊外のアンダーグラウンドイメージ飲食店、専門店などを回る予定でしたが、個人的にダウンタウンを中心にゆっくり一日かけて巡ってみたいという思いもあって、許可を得て一人でぶらぶらと“歩き”を中心に回りました。その他の移動は、一人なのでタクシーはもったいないので、地下鉄を利用した次第です。
 この日は、日曜日(2月14日)ということもあり、休みのところが多く、オープンするにしても正午近くからというところが多かったです。また、2月14日といえばバレンタインデーですが、アメリカは日本とは違い、男性から女性にプレゼントするみたいで、彼女に渡す花束を手にした男性の姿も多く見られました。

 一日かけて、アトランタのポイントをいろいろと巡ってきましたが、その中でも一番注目していたのが、“アンダーグラウンド・アトランタ”というショッピング・モールです。上から2番目の画像が、そのアンダーグラウンド・アトランタのユニークなショップやワゴンが並ぶ地下のメインストリートを写したものです。ここはアトランタ発祥の地であり、かつては南部鉄道のゼロマイル地点とされ、ここを起点に線路が敷かれていました。そして、その後、鉄道が衰退して倉庫街となり、治安上の問題で閉鎖されてしまいます。
 そんな倉庫街の再開発が進み、1989年に近代的ショッピング・モール“アンダーグラウンド・アトランタ”としてよみがえります。6ブロック、総面積約1万5千坪の広さに、レストラン、カフェ、各種ショップなどが150以上入っています。特に地下1階のメインストリートは、レンガの壁、配管むきだしのままの天井に暗い照明がレトロな雰囲気を醸し出しています。行ったは、日曜日ということもあり家族連れ、観光客などで込み合っており、擦れ違うのもたいへんなほどでした。1ドルショップ、掘り出しものが見つかりそうなワゴンの店、似顔絵、占いコーナーなどもあり、ぶらぶらコカコーライメージ歩くだけでも楽しめる空間が広がっています。

 アンダーグラウンド・アトランタは、地下鉄のファイブポインツ駅からも近く非常に便利なところにあります。ファイブポインツ駅を降りて、アンダーグラウンド・アトランタをぶらぶら歩いてそのまま抜けれていけば、コカコーラの歴史がすべてわかる“ワールド・オブ・コカコーラ”が見えてきます。ワールド・オブ・コカコーラの中に入ろうと思いましたが、外まで行列ができており、並んでいる時間がもったいなかったので諦めた次第です。上から3番目の画像が、“ワールド・オブ・コカコーラ”の正面入り口を写したものです。少し見にくいですが行列ができているのが確認できることと思います。
 世界中で多くの人が知っているほど有名なコカコーラですが、ここアトランタが発祥の地であり、本拠地でもあります。近年のアトランタの急進ぶりは、このコカコーラ社の成長とともに発展してきたといっても過言ではありません。今や世界の共通語にまでになっているコカコーラ(現在195カ国以上で発売されています)は、1886年ここアトランタに住んでいた薬剤師、ジョン・S・ペンバートン博士によって発明されました。発明当初は、砂糖に水、コカの葉とコーラナッツエキスを調合したこのシロップを頭痛薬、特に二日酔いに効く薬として販売していたようです。

 それでは、コカコーラの話も出てきたことですから、ここでアメリカの歴史含めアトランタの歴史を紐といていきます。まず初めにキーワードをざっと挙げてみまと、奴隷制度、南北戦争、風と共に去りぬ、奴隷解放宣言、キング牧師、ジミー・カーター、コカコーラ、CNN、アトランタオリンピック・・・。このキーワードをすべて組み立てられればアトランタについてかなりツーと言えます。
 1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、アトランタはインディアンとの紛争の砦として1813年に築かれたのが起こりと言われています。古い建物イメージアメリカでは入植当初から南部を中心に奴隷貿易が盛んに行われており、奴隷制度の議論を巡って南北戦争(1861年〜1865年)へと発展していきます。その頃日本はちょうど幕末を迎え、時代が大きく動き出そうとしている時であり、坂本竜馬、西郷隆盛、桂小五郎などが駆け回っていたころです。1864年9月にアトランタは北軍の進撃により焼きつくされます。その南北戦争を背景にアトランタを舞台にしたマーガレット・ミッチェルの小説“風と共に去りぬ”が1936年発表され、アトランタの名を世界的に有名にしました。
 1863年にリンカーンが奴隷解放宣言を出しましたが、その後も黒人への差別が続いており、そんな中1960年代に黒人差別廃止運動に立ち上がったのが、アトランタに住む黒人牧師一家に生まれたマーティン・ルーサー・キング・ジュニアです。1965年には、剥奪されていた投票権も再び認められるようになり、形式的な人種差別を消しています。キング牧師は、1968年に志半ばで凶弾に倒れましたが、アトランタには、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア国立歴史地区が保存されており、人間愛が今でも語り継がれています。
 そして、アトランタが飛躍の道を走るきっかけとなったのが、1976年にジョージア出身のジミー・カーター氏が大統領になった頃からです。アメリカの各種産業がどっと南部に乗り込んできました。アメリカの産業ばかりでなく、外国の企業も入ってきて、トヨタ、日産などの日本の自動車メーカーも南部に工場をつくっています。1974年には、日本領事館もできています。
 また、コカコーラの他にアトランタを本拠地をおく有名企業として、1980年6月放送開始した世界初の24時間ニュースだけを放送するテレビ局のCNNがあります。実際にCNNセンターに行ってガラス越しですが、番組制作の様子をナマで見てきました。

 その他では、郊外にあるアトランタで一番最初にオープンしたショッピング・モール“レノックス・スクエア”、ダウンタウンにある複合コンプレックス“ピーチツリー・センター”、オリンピック記念公園などを見てきました。

 今回、アトランタのダウンタウンを中心に巡ってみまして、アトランタオリンピックから2年以上経っていますが、オリンピックバブルで一時期広げすぎたふろしきというか背伸びしすぎたものをうまく吸収するところまでは到達していないような印象を受けました。街そのものは近代的でものすごいきれいで、少し郊外に行けば歴史ある文化遺産・建造物が多く残っており、なおかつ風土的な意味合いもあると思いますが住んでいる人々が明るく親切です。近代的なもの、代々引き継がれていく文化・歴史的なものを“まちづくり”にうまくバランスよく組み入れていくことが、アトランタをさらなる飛躍につなげていくものと感じました。

 また、今回のニューヨーク・アトランタ視察全体を通してのコラム「’99ニューヨーク・アトランタ視察を終えて」も合わせてご覧いただければと思います。

By Nagura

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