高齢者が元気な町“足助”を訪ねて (日本・愛知)

視察日:1999年4月18日

 全国的に知られています紅葉の名所・香嵐渓(こうらんけい)で有名な愛知県足助(あすけ)町(人口約1万400人、年間観光客数約100万人)を訪ねてきました。足助町は、百年草イメージ豊田市の北東に位置し、町の面積(約200平方キロメートル)の9割近くが山々です。行った日は、あいにくの雨の日曜日でしたが、それでも香嵐渓の駐車場に入る車で渋滞していました。香嵐渓には幾重にも“こいのぼり”が飾られており、川辺の散策と香嵐渓の中央辺りにある「三州足助屋敷」に訪れる人たちの渋滞と思われます。ちなみに「三州足助屋敷」は、1980年に山里の生きた暮らしの文化を後世へ伝えていくために誕生しました。炭焼き、機織り、紙すき、桶屋、傘屋、かご屋、かじやなど手仕事の実演が見られ、伝承の場ともなっています。ちなみにこの「三州足助屋敷」は開館当初から独立採算で運営が続けられています。

 今回は、多くの観光客が行くメジャーな施設ではなく、足助に住んでいる方々の生活感が感じられるポイントを回ってきました。ざっと挙げますと、足助町福祉センターの「百年草」、“マンリン小路”を核とした白壁と黒瓦の古い町並み、地元商店街の有志がつくったショッピングセンター「パレット」です。今回、雨の中を歩きましたが、古い町並みには、少々の雨は風情が感じられ、逆に趣がありました。

 まず最初に簡単に足助町の歴史とまちづくりについて紹介していきます。足助は江戸時代、三河湾でとれた塩を山の国、信州に運ぶ「塩の道」の中継市場として栄えました。三河湾でとれた塩は舟で矢作川をさかのぼって足助まで運び、ここからは馬の背に乗せて信州まで運んだ所から、尾張・三河と信州をマンリン書房イメージ結ぶ飯田街道は「塩の道」とも「中馬街道」とも呼ばれています。また、馬の背に積み替える作業のことを当時「足助直し」と呼ばれていました。
 まちづくりに関しては、今でこそ、江戸時代の民家や商家を改修、復元する動きが盛んですが、実はこの足助町は、こうした運動の起点となったところです。1975年に「足助の町並みを守る会」ができ、1978年には第1回全国町並みゼミが開かれています。ちなみに運河保存運動で有名な小樽での開催はその2年後のことです。
 足助町は、第1回全国町並みゼミが開かれた当時、文化庁の重要伝統的建造物群保存地区の選定に応募するのを辞めて、“観光地ではない町並み保存”を選んだと言われています。古い町並みの詳細は、後で述べますが、中山道にある妻籠(長野)のように江戸時代の町並みが延々と保存されているわけではなく、足助の場合は、保存というよりもところどころで古い建物が現在も脈々と生かされている(生活と密着している)といった方がピッタリとくると思います。通りを歩いていましても、町の人たちの単なる「保存」という考え方ではない、古い家や町の暮らしへの愛着が何となく感じられます。いい意味での“生活臭さ”(生活感)が感じられ、そこで住んでいる人達にとっては、さぞかし保存と現実の暮らしの間で試行錯誤、葛藤があることとは思います。しかし、“古い家や町の暮らしへの愛着”への思いを住んでいる人々が持っている以上、自然体で生活感覚にあった歩みで進められていくことを私自身は期待します。香嵐渓ほどメジャーにならずとも、マイナー路線で少しずつファンを増やしていきながら、息の長い取り組みをしていって欲しいものです。

 町内にある施設を見ていきますと、手づくりの古い町並みイメージ技術を持ったお年寄りの働く場であると共に観光施設でもあり、何よりもこの町に住む誇りを取り戻す運動の一環でもあったのが、冒頭で紹介しました「三州足助屋敷」です。そして、その後、“生涯現役で働く場を提供することこそ、真の老人福祉ではないか”という考えが端緒となって、お年寄りの健康づくりの拠点として足助町福祉センター「百年草」がオープンし、さらに足助城も復元されました。「百年草」の中の工房、足助城の観光案内などでお年寄りたちは活躍しており、まさに生涯働き続ける福祉の町“高齢者が元気な町”と言えます。この山村文化を発信(アピール)し、古い町並み保存では独自の道を歩んできた足助には、全国から年間350件もの視察団が訪れるそうです。

 足助町は、過疎化に加え、65歳以上のお年寄りが4分の1以上を占めており、福祉の拠点として1990年10月に誕生したのが足助町福祉センター「百年草」です。一番上の画像が、「百年草」の外観を写したものです。画像からわかりますように、足助川を望む欧風のしゃれた建物となっています。ここの特徴は、デイサービス、リハビリなどの福祉活動の拠点だけにとどまらず、ホテル、飲食店、ハム・パンの工房(販売も兼ねる)などが併設されており、くつろぎの拠点、生き甲斐の拠点ともなっています。この日も、将棋をしているお年寄りたちが10名ほど見えました。また、温泉入浴だけも可能なため、家族連れの姿も見られました。
 お年寄りたちが元気に働いているハムとパンの二つの工房を紹介します。1990年のオープン当初からある足助ハムづくりの「ZiZi工房」と1995年に加わったパン工房の「バーバラはうす」です。なかなかうまいネーミングがされています。お気づきになった方もいらっしゃると思いますが、おじいさん、おばあさんパレットイメージの「じじ(ZiZi)」「ばば(BaBa)」からきています。両方ともオープンキッチンでハム、パンを作っている様子が見られ、作りたての商品がすぐに店頭に並びます。
 この工房も冒頭で述べました「三州足助屋敷」と同様に独立採算をとっています。町シルバー人材センターから派遣された60歳以上の26名ほどの方々が働いていますが、気軽にお客さんに話しかけて商品を勧めたり、商売気も感じられ、それより何よりも、誇りを持って生き生きと働かれており、若さが感じられました。また、「バーバラはうす」は、後で紹介しますが、ショッピングセンター「パレット」の中にも店舗を出店しています。

 上から2番目と3番目の画像は、古い町並みの中にある土蔵を生かした“マンリン書房”とマンリン書房横の昔の繁栄が偲ばれる“マンリン小路”を写したものです。このマンリン書房は、かつては「万林呉服店」だったそうです。また、ここは単なる本屋さんではなく、書店の奥には、さらに改造した土蔵が三つも重なっています。奥の土蔵は、ギャラリー、喫茶スペースとなっています。実際にギャラリーを見てきましたが、全体的にアジア文化の細工ものが多く展示されており、すべてに値札がついており、販売もされています。けっこう掘り出しものが見つかるかも知れません。ギャラリーの入館料は、コーヒーなどの喫茶代500円を払うのみです。ギャラリーをゆっくりと見た後にのんびりとコーヒーを飲むことができます。土蔵の中には、時計はおかれてなく、ゆったりした時間を過ごせ、天井も高く、静かで落ち着きます。また、喫茶スペースには、珍しいランプ型のストーブが置かれており、素朴な形状に目をひかれました。
 上から3番目の画像の両側に白壁蔵造りに黒い腰板を高く打った古民家が密集して階段状に続いている“マンリン小路”は、この町並みの中でも当時の繁栄を最もよく偲ばせるところです。このマンリン小路は、町から山腹にある宗恩寺へ登る小路として今も昔も変わりなく使われています。

 一番下の画像が、ショッピングセンター「パレット」の外観を写したものです。この「パレット」は、隣の岡崎市や豊田市に買い物客が流出していることへの危機感と生活を便利にして町の人口減に歯止めをかけたいという思いから、地元商店街の有志12人で設立した会社が1998年4月23日に幹線(国道153号)沿いにオープンしたものです。
 行った時は、ちょうど1周年の記念セールをやっており、駐車場は、ほぼいっぱいの状態でした。店内はたいへん明るく、内装には地元の木材がふんだんに使われています。足助町初のショッピングセンターというもあり、順調に推移しているようです。ちなみに、テナントとして入っている先程紹介しました「バーバラはうす」のパンも、ほぼ完売の状態でした。

 足助は、山の中にあり、片側1車線の山道ですので、観光道路イコール生活道路のため、紅葉のシーズンには、観光客のみならず、地元の人の生活もさぞかしたいへんだろうと思います。今回、足助町内を巡ってみて、古い町並みの中の商店も、開けているところが多く、お年寄りが買い物をされており、ショッピングセンター「パレット」は車を利用するファミリーなどで込み合っており、工房などでは生き生きと働いているお年寄りの姿が見られました。
 今の足助町は、「観光客の呼び込み」「住んでいる人々の日々の暮らし(生活)」「生涯働ける環境」というそれぞれの面のバランスがうまくとれており、相乗効果を発揮しているように感じました。逆にこれが、一つでも特化し過ぎてしまうと、たちまち問題が浮上してしまうのではないかとも思われます。絶妙なバランス感覚で“まちづくり”を進めているところに、多くの自治体が魅力を感じ、視察に訪れるのだろうと今回訪れてみて強く感じました。

By Nagura

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