宿場町・有松 (日本・名古屋)

視察日:1998年10月19日

 有松は、名古屋市東南部に位置し、浮世絵師の安藤広重の「東海道五十三次」にも出てきます東海道の宿場町のひとつです。地鯉鮒(ちりふ)宿(現知立市)と鳴海宿(現名古屋市鳴海町)の中間に39有松イメージ0年前の慶長13年(1608年)開かれた宿場町です。
 そして少し東の方へ歩いて行きますと、織田信長が今川義元を奇襲して破った桶狭間(おけはざま)の戦いで有名な桶狭間古戦場跡が今川義元之墓とともにあります。この辺りは、国道1号線が走っており、かなり交通量が激しいのですが、未だに道路が狭く、なだらかな起伏の道が続いており、織田信長がこの地を選んだ面影が残っています。

 話を有松に戻しますと、今回私は車で行きましたが、名鉄有松駅のすぐ近くに古い町並みが残っている旧東海道が走っていますので公共機関を使って来られた方が便利だと思います。旧東海道を歩いていきますと、細くてカーブの多い道が続いており、当時旅人たちが往来した面影が感じられます。街道沿いには、間口が広く黒がわらがどっしりとした町屋造りの絞りの店が多く残っています。また、街道沿いにある信用金庫、郵便局(行った時は建設中)、その他の店も町並みにマッチするように瓦屋根風の建物にするなど配慮がされていました。

 有松と言えば、古い町並みとともに“有松絞り”が有名です。有松絞りの特徴は、手仕事の素朴さを残しながらもモダンな模様が多いことで、通り沿いにある「有松鳴海絞会館」では、約100種類の有松絞りの技法が紹介されています。そして、現在では伝統を守る一方で、絞りに形状記憶やぼかし、透かしなどを加えたハ有松イメージイテク素材の商品企画も行われています。
 ここで少し、宿場が開かれ、そこでなぜ“有松絞り”が始まったかを紐といてみましょう。江戸の当時この辺りは有松の名前の由来になったともいわれていますが、松林が一面に広がっていました。そのためもあり、追いはぎが続出し、江戸幕府としても治安維持に困り果てていたようです。そこで、尾張藩が有松への入植者公募をした結果、阿久比庄(現愛知県知多郡)から竹田庄九郎始め8名が移住してきて、まず宿場が開かれました。地元の人たちが愛情を込めて呼ぶ、この「竹田庄九郎さん」が有松絞りの創始者とゆくゆくなる訳です。
 そして、有松絞りのきっかけとなったのが、名古屋城の築上工事に竹田庄九郎さんが参加したことでした。そこで、九州から名古屋城の築上工事に参加していた人たちの美しい藍染めの絞りの着物に驚き、幸い、当時珍重され始めた木綿が郷里の知多の特産品ということもあり、それで豆絞りなどの手拭いを作ると、たちまち人気商品となりました。それ以後、絞りの種類や色柄を増やし、浴衣はもちろん、高価な絹の着物まで手がけ、元禄時代には大産地となり、現在へと受け継がれています。また、当時、有松の地質が稲作に向かず、困り果てていたことが今の有松絞りへとつながってもいるのでしょう。

 ここ有松の町並みは、名古屋市指定の町並み保存地区第1号に選ばれたところです。また、個々の建物では、愛知県有形重要文化財に指定されている建物も多々あります。有松に来る前に、円頓寺界隈の四間道を見てきましたが、そこも町並み保存地区となっています。有松イメージ
 有松は、宿場が開かれて以来390年経った今も、当時の町並みの美しさと絞りの美しさの両方の文化を今日に伝えています。豪華なカラクリ人形を乗せた3台の山車(名古屋市指定文化財)も通り沿いにある「有松山車会館」に展示されています。
 古い町並みをゆっくりと昔の旅人気分で歩きながら、絞り製品を売る町屋の「のれん」をくぐりに行かれてみてはいかがでしょうか。

 最後に、有松周辺の商業施設の開発計画をみていきますと、2000年4月に有松駅前に第1種市街地再開発ビルの計画が進んでいます。核店舗として、マイカル(店舗面積:20,973平方メートル)が入ることになっています。昨年、すぐ近くにイトーヨーカ堂鳴海店がオープンしており、以前からあるダイエーなどを巻き込んで競争が激化することが予想されます。

By Nagura

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