安城の歴史・文化探訪 (日本・愛知)

視察日:1999年1月14日

 昨年(1998年)11月に行われました「安城風景づくり市民フォーラム’98」に参加して改めて自分の住んでいる地の歴史・文化に触れたこともあって、機会があれば一度じっくりと安城市内を油ケ淵イメージ探訪してみたいと思っていました。そこで今回、安城市内の史跡、風景などを昔の記憶も紐解きながら訪ねて参りました。

 ざっと巡ってきましたところを挙げますと、油ケ淵、安祥城址、本證寺、二子古墳、不乗の森(里神社)、東端辺り(貝塚)、明治川神社、なんじゃもんじゃの木(北部小学校)、安城公園の松林、明治用水上のサイクリングロード、田園風景などです。平日ということもあり、ちょうど昼時に訪ねた神社などでは、営業マンと思われる車が数台並んでおり、休憩している姿が目につきました。

 安城市内各地をまわってみて一番感じたのは、自然放置されたような昔ながらの雑木林は数えるほどしか見られなくなり、以前田んぼだったところも宅地化がかなり進んでいるところが多く見られました。しかし、少し郊外に行けば、田園風景が広がっています。昔と何も変わらないところは、安城には山がないこともあり平坦な平野が果てしなく続いているところでしょうか。

 まず、安城史を少し見ていきますと、安城の地にはじめて原始人が姿を見せたのは、旧石器時代の末期(約1万2千年前)で、その頃は、東部の沖積低地や南部の油ケ淵のまわりは湿地や海でした。そして、4世紀後半には古井遺跡のムラを中心とした小国家が誕生していきます。11世紀から15世紀にかけては荘園(平安時代から室町時代にかけての貴族・寺社の私的な領有地)の時代を迎え、荘園のなかに数多くの武士が誕生し、武士団に成長していきます。
 戦国の世を迎えると安祥城の戦いで松平氏が安祥城を攻め落とし、15世紀末から約50年間にわたり、岡崎城を本拠とするまで安祥城が松平家代々の居城となって安祥城址イメージいます。徳川(松平)家康の祖父の代まで4代にわたり安祥城を居城とし、三河武士の中枢をつくったと言われています。(安祥城は、1573年に廃城となり、その後1792年に安祥山大乗寺(了雲寺)が建立され現在に至っています)上から2番目の画像が、安祥山大乗寺(了雲寺)を写したものです。かつてはここに安祥城の本丸があったもようです。現在は、安城市歴史博物館が隣接して建てられています。
 江戸時代になると安城市域は、岡崎、刈谷、西尾の各藩といくつかの旗本の領地として分けられ治められていました。その頃、安城市域は、安城ケ原と呼ばれており、水の便が悪い原っぱで、水田も少なくたいへん貧しい生活をしていました。現在の豊かな田園が広がっている風景からは想像もできないほど荒廃していたもようです。
 その後の発展への転機となったのが、1827年に都築弥厚が幕府に申し出た矢作川から水を引くという計画(明治用水)です。その当時、明治用水開通が実現することにより、大名の領土にして10万石以上(当時岡崎藩が5万石)に匹敵すると言われていました。そして、時代は明治、大正、昭和へと変わっていき、安城は「日本デンマーク」と呼ばれ田園都市として発展していきます。平成11年の現在は、農業、工業バランスのとれた15万人を超える都市へと成長しています。市政45周年を迎えた平成9年には、「花・みどり・暮らしの提案」をコンセプトにつくられた農業を全面に出したテーマパーク「デンパーク」がオープンし、愛知県下の観光ルートのひとつになりつつあります。

 安城の郷土芸能としては、「三河万歳」が有名で国の重要無形民族文化財に指定されています。観光としては、先程挙げましたデンパークの他に100万人以上の観光客が訪れる「安城七夕まつり」、安城出身(当時は三河国碧海郡和泉郷)で武士から文人となった経歴の持ち主の石川丈山の心を汲み取った空間が広がっている「丈山苑」などがあります。

 安城史の説明が少し長くなりましたが、見てきましたところを画像とともに説明していきますと、一番上の画像は、油ケ淵を写したものです。安城市と碧南市の市境にあり、写真の左手奥に小さく見えているのが碧南市民病院です。近くに病院があるのにも関わらず油ケ淵は汚い河川としてこの辺りでは有名でした。最近では、工場などの事業者の浄化対策はもちろんのこと、家庭における食器の汚れはふきとってから洗うとか水切りネットの使用などの生活排水対策などの浄化活動も進められており、良い方向に向かっております。毎年7月の第4日曜日が油ケ淵浄化デーになっており、水質浄化実践・啓発活動が行われています。一度汚れてしまった河川は、そう簡単にはきれいにはなりませんが、環境基準(COD5mg/P)の達成にむけて当面、平成12年度までにCOD8mg/Pを目標に進められています。
 油ケ淵に沿うように安城市の南端に東端町が広がっており、その東端町には縄文時代(約2700年前)の貝塚(古代人が貝殻や不要のものを捨てた場所)の東端貝塚があります。今回は、中学校の頃夏休みの自由研究で遺跡(貝塚・古墳)の調査をした時の20年以上前の記憶をたよりに行ったのですが、近くにぶどう畑が広がっていたというイメー二子古墳イメージジまでは思い出せたのですが、近くまで行ったのにも関わらず場所を特定することができませんでした。(後で判りましたが、八剣神社境内から南にかけて広がっているようです)当時、安城市内の30カ所以上の遺跡について調べ、数ヵ所実際に見にいき、東端貝塚では貝のかけらを見つけたことが記憶に残っています。
 上から3番目の画像は、二子古墳を写したものです。ここは先程の東端貝塚と違い、すぐ見つけることができました。桜井町にあり、岡崎西尾線の道路と新幹線が交差するところにあります。岡崎方向に向かって車で走りながらでも、新幹線交差手前に2つの小山が右手に目にとまることと思います。二子古墳は、4世紀ころに築かれた前方後方墳で高さが前方部7メートル、後方部10メートル、全長81メートルあります。当時としてはこの地方最大のムラがあり、このムラや周辺のムラムラを支配する豪族がいたものと思われます。また、その豪族の遺骸は、後方部頂上に鏡、玉、刀等とともに葬られているものと思われます。

 一番下の画像は、明治川神社に放し飼いにされている黄金のにわとりを写したものです。まだ年初めということもあり縁起がいいので載せた次第です。この明治川神社は、先ほど述べました明治用水完成の歓喜と感謝が結晶されて創建されました。都築弥厚はじめ伊予田与八郎、岡本兵松などの功労者がまつられています。中学の頃、当時親父さんが明治川神社の神主をやっていた伊予田与八郎の子孫と思われる伊予田君と明治川神社イメージいう同級生がおり、この神社によく遊びに行ったものです。現在、同級生だった伊予田君が神主を継いでいるかどうかはわかりませんが・・・。
 現在、明治用水は暗渠化(用水の上に蓋をすること)が図られ、水の流れそのものは実際に見ることができませんが、サイクリングロードに変わっています。下に水が流れていることを思い浮かべながら自転車を走らせていけば、当時の明治用水をたどっていくことができます。我々が小学校のころは、まだ暗渠化されてなく、水遊びで亡くなる子もおり、夏休み前などは明治用水・貯水池などでは遊ばないようにとよく言われたものです。

 もう一つ神社次いでに、伝説のまつわる不乗の森(里神社)を紹介します。“のらずのもり”と読みます。私が住んでいる町内にあり、別名、里町という町名から“里神社”と一般的に呼ばれています。不乗の森は、滋賀県滋賀郡日枝山鎮座の日吉神社の祭神(日吉権現)をおまねきしたと伝えられています。不乗の森という名前の通り、鎌倉時代のころより、この社の前を馬に乗ったままで通ることは許されなかったそうです。たとえ、馬に乗ったままで通ろうとしても、すぐに落馬してしまうというので、必ず馬から降りて通ったということです。そんなわけでいつの間にかこの森は「のらずの森」と呼ばれるようになったもようです。この森から西の方へ半里ほど(1.5キロメートル)行ったところに下馬山という台地があり、旅人はここまで馬をおりて歩いて通ったと言われています。
 昔(小学校の頃)は、この不乗の森の雑木林の樹木に蜜などを前日の夜に塗っておいて、早朝に再びきて、かぶと虫やくわがたなどを捕まえたものです。昼中でも、暗い雑木林のなかで捕まえたこともありました。スズメ蜂が多くかなり怖い思いもしましたが・・・。現在でも、不乗の森にはクヌギなどの雑木林が残っており、緑は多いのですが、周辺はすっかり区画整理などで開発されていますので、当時のようにはかぶと虫やくわがたなどは捕まえられないことと思います。

 最後にグルメ情報を載せておきます。そうめん・うどんで安城と言えば、本店がある手延べそうめん・うどんの丈山の里「いずみ庵」がまず思い浮かびますが、今回は“釜上げうどん”のうまい「大正庵釜春」を紹介します。つい先日、大正庵釜春・新安城支店で釜上げうどんを食べてきましたが、なかなかいい味です。つゆは甘めですが、麺とマッチしています。大正庵釜春は、岡崎本店で西尾、安城などに5店舗ほど展開しています。新安城支店は、ちょっと分かりにくいところにありますが、名鉄新安城駅から車ですと5分ほどで行くことができます。場所的には、作野小学校の隣になります。

 今回、自分の住んでいる土地にまつわる歴史・文化を訪ねてきましたが、一度、皆様方もご自分が住んでいらっしゃる土地にまつわる歴史、文化、伝説などを地元の図書館で調べるとともに、訪ねられてみてはいかがでしょうか。“古代へのロマン”が広がるとともに、きっと新たな発見、意外な一面が見つけられ、よりいっそう自分の住んでいる“まち”が好きになることと思います。
 今回、私は、車を使って行ったこともあり、路地などに入っていけなく、訪れた場所ごとで駐車スペースを確保するのにもかなり苦労しました。できれば、もう少し暖かくなった小春日和の日にでも自転車で訪ねられるのが一番良いのではないかと思います。安城近辺の方でしたら、明治用水上のサイクリングロードを走られてみてはいかがでしょうか。

By Nagura

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