特許庁は、外郭団体として特許を株のように売買できる「市場」ができないかとして、財団法人「日本テクノマート」を作り活動している。米国では、特許の売買は盛んで、政府機関、大学、民間機関が盛んに特許の売買を斡旋している。とくに大学には特許部があり、教授の発明を出願したり管理を行っている。さらに技術移転のための事務所もあって、例えばカリフォルニア大学では、1995年度の特許料の収入は、5,700万ドルで、日本円に換算すれば約80億円になるという。

ここで、このような例を出したのは、米国の大学がいかに米国の繁栄の為に頑張っているか、を紹介したかったからだ。これに対して日本の大学は、おおよそ特許に対してあまり関心がない。さらに日本の記憶型教育は、100年間も変わらず、依然として詰め込み教育になっている。この中からは、独創的な考えや思想は生まれない。

さる国際的な競争の激しい企業の開発担当者は、日本の大学卒業生を採用しても10人が10人同じ様な発想しかないと嘆いている。つまり研究者として使い物にならないのである。日本人の単一性は、この記憶中心の規制教育から生まれるともいわれるが、さる新聞に載っていた話は、日本の教育の異常さを端的に示していたので最後に紹介しよう。

英国の中学校に日本から入学した中学生の話だが、先生が「市場」について調べるように宿題を出したそうだ。日本の学生は、図書館に行って本から調べて先生に提出したそうだ。これに対して英国の学生達は、実際に市場に行って見たり聞いたりして、調べた結果を提出したそうだ。日本なら、さしずめ前者の図書館型のような同じ行動を皆とるし、そのなかで学者の内容を手際良くまとめたものが優秀となるはずだ。そこには学者の意見の丸写しで独走や創造性の入り込む余地はない。しかし、英国では、前述の日本人学生は零点だったそうだ。つまり、日本の秀才は、欧米では落第性であったのである。